京都駅周辺をお散歩|東福寺・三十三間堂・豊国神社・方広寺・豊国廟

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紅葉シーズンの京都駅の周辺をお散歩してみました。本日は東地区を中心に廻ってみたいと思います。すべて徒歩というわけではなく、若干電車も利用しました。

東福寺

東福寺は1236年に九条道家(くじょうみちいえ)によって建てられました。九条道家は鎌倉時代の公家で、摂政(せっしょう)や左大臣を経験しております。

摂政は天皇が幼いときなどに代わって政務をする役目で、聖徳太子が有名ですね。左大臣は太政大臣(だいじょうだいじん)の次の官位です。織田信長は右大臣まで昇進しましたが、それよりも一つ上の位です。

紅葉が綺麗な東福寺

東福寺はとても紅葉が綺麗なお寺として有名です。

東福寺は京都駅からは1キロちょっとのなので歩いても行けますが、バスや電車を利用することも可能です。最寄り駅は「東福寺」で京阪本線や奈良線が通っております。

紅葉のシーズンには、あまりにも人が多いので撮影禁止になってしまうこともあるので、注意が必要です。折角、綺麗な風景が目の前にあるのに撮影できないなんてとても残念ですが、仕方がないですね。

特に11月半ばから後半にかけての休日は、ものすごく込みますので写真撮影はさせてもらえない覚悟で行く必要があるでしょう。

紅葉が綺麗な東福寺の庭園紅葉が綺麗な東福寺の庭園

東福寺の紅葉と建物東福寺の紅葉とマッチする建物

三十三間堂

三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は京都駅から1キロ程度の場所にあるので歩いて行くことも十分可能です。最寄りの駅は京阪本線の七条ですが、今回は東福寺駅から電車で七条に行きました。

三十三間堂入り口

三十三間堂の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)といい、1165年に後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂となります。

後白河上皇といえば、天皇時代には保元の乱(ほげんのらん)で平清盛や源義朝(頼朝の父)を味方に引き入れ、崇徳上皇(すそくじょうこう)側の軍を打ち破りました。上皇になってからは平清盛と協力して院政を行っております。

三十三間堂の中には1000体の金の観音像があって見るものを圧倒する迫力があるのですが、残念なことに中は撮影は禁止となっております。

建設には平清盛が協力したそうですが、中は平安時代の建築物としては非常に広いです。清盛の当時の財力がすさまじかったことが、なんとなくわかります。

三十三間堂三十三間堂

三十三間堂のすぐ近くには後白河天皇陵もあります。

後白河天皇陵後白河天皇陵

後白河天皇陵のとなりには、戦国大名の浅井長政を祀るお寺(養源院)があります。

織田信長の妹のお市の旦那で、信長に滅ぼされた戦国武将の浅井長政です。なぜ、浅井長政を祀るお寺がここにあるのかちょっと不思議なのですが、豊臣秀吉の側室の淀殿が秀吉に懇願して建ててもらったそうです。

淀殿は長政の娘ということになっておりますが、実の子ではないという説もあります。信長とお市の間の子ではないのかと唱える方もいるようですが、真相は謎につつまれております。

この日は中で結婚式をやっていたみたいです。和服姿の新郎新婦が写真撮影を行っていました。

養源院養源院

豊国神社

三十三間堂から歩いて数分のところに豊国神社があります。

豊国神社の石碑

豊国神社は豊臣秀吉を祀る神社です。

大阪夏の陣の後、一度は徳川家康によって一度取り壊しされましたが、明治になって再建されております。

豊国神社の社殿豊国神社

豊国神社の中には宝物館があります。

宝物館の中には、なんと秀吉の歯といわれているものがあります。薄暗い中でのガラス越しでうまく撮影できませんでしたが、これがそうです。

秀吉の死因はいろいろな説がありますが、一説には実は歯がすべて抜けて、ろくに食べ物が食べられなくなったためという話もあることを聞いたことがあります。

今は入れ歯もありますが、歯は大事にしたいですね。意外と当たり前にあるものが、失って初めて大切さに気づいたりするものです。

秀吉の歯

秀吉の歯アップ秀吉の歯

方広寺

豊国神社のとなりには方広寺(ほうこうじ)があります。大阪夏の陣の引き金となった有名な鐘があるお寺です。

方広寺

これが有名な鐘です。徳川家康が因縁をつけて問題となった箇所は白く囲ってあります

国家安康」が家康の名を分割し、身を切断することを意味し、徳川氏を呪詛し、「君臣豊楽」の文字が豊臣家の繁栄を祈願しているとされました。

これは、家康は豊臣方に戦を仕掛けるために、無理やり理由をつくっただとものと考えれます。老い先の長くなさそうな家康には焦りもあって、とにかく早く豊臣家を討ちたかったのでしょうね。

方広寺の鐘方広寺の鐘

方広寺の鐘 問題の箇所方広寺の鐘「国家安康」「君臣豊楽」

豊国廟

京都の東地区には豊臣秀吉に関するスポットが多く存在します

あまり知られていないようですが、秀吉の墓である豊国廟(とよくにびょう)もこの辺りにあります。

「googleマップ」で調べても豊国廟の場所はよくわからなかったので、豊国神社の住職の方に聞いてみたところ、地図をくれて詳しく教えてくれました。

「ここから1キロほど離れたところに入り口があって、さらにそこから先、非常に長い階段を登ったところにあります。灯りがないので暗くなると非常に危険なので気をつけて下さい。」

心なしか、「大変だよ。行かないほうがいいよ。」と言っているような心の声が聞こえたような気がしました。事前に豊国廟が長い階段の上にあることは知っていたので、スポーツクラブで何回か有酸素運動をして少し慣らしておきました。

豊国廟に行く途中には京都女子大学がありますが、この大学まで京都駅からバスで行くことも可能です。京都女子大学を越えて進んでいくと、ようやくそれらしきものが見えてきました。

豊国廟の入り口前階段

階段を上がるとこんな感じです。どうやら、豊国廟に続く道で間違いないようです。

豊国廟の入り口

これが例の非常に長い階段の下です。階段の下には拝観料(100円)を収める箱があります。

豊国廟の階段下

階段の下から見上げてみると、確かに上までかなりあります。後で調べてみたら、階段は485段あるそうです。

豊国廟の階段

途中までいって下を見てみると、黒人が2人、階段を登り初めていました。しかもかなり早い。このような人通りの少ないマイナーな場所に外国人も来るんだと感心しましたが、追い抜かれるのは気分的に嫌な感じがしたので、ちょっと急いでみました。

ようやく頂上かなと思ったら、まだ先がありました。普段あまり運動しない方はいきなり行くと相当きついと思います。

豊国廟の階段 中腹

ようやく着きました。これが秀吉の墓です。

それにしても、徳川家康の墓がある(諸説あるが)日光東照宮があれほど豪華で賑わっているのに秀吉の墓が、ほとんど知られておらず、人もあまり来ないのはなんだか複雑な気分がします。

秀吉が亡くなった当時は神(豊国大明神)として祀られ、祭りなども盛大に行われていたそうですが、家康が神号を廃止し、ここへの参拝も禁止にしたそうです。

また、秀吉の墓は当初は山の中腹にあったそうですが、明治の時代に山頂に移したそうです。もちろん、秀吉の亡骸もそのときにいっしょに移動したそうです。

ここに来たとき、不思議と一瞬だけにわか雨にあいました。歓迎されていたのか、煙たがれていたのかはわかりませんが、歓迎されたと思いたいところです。

秀吉の墓秀吉の墓

振り返って階段を見下ろすと、さきほどの黒人の方々が階段を登ったり下ったりとしておりました。どうやら陸上競技をやっている方々のようで、トレーニングをしていたようです。

確かに、これだけ長い階段は珍しく、トレーニングをするには最適かも知れませんね。

湯葉料理

夕食は清水寺の近くで湯葉料理を食べました。

おかべ屋

この辺りには湯葉料理店がいくつかあって、値段もそれほど高いというわけではありません。「初めて見たときは、これがこの値段で食べれるんだ。」と思いました。清水寺に来たら、湯葉料理を食べることをおすすめします。

清水寺 湯葉料理

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