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平等院鳳凰堂ってどんなところ?作った理由は?鳳凰像はレプリカ?

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平等院鳳凰堂

京都府宇治市にある平等院鳳凰堂は、10円玉に描かれている建物として知られております。

このことはわりと知られているようですが、実は1万円札に描かれている鳥が、この鳳凰堂に関係していることは意外と知られていないようです。

孔雀のようにも見える1万円札の鳥は鳳凰であって、これは平等院鳳凰堂の上に鯱鉾のように乗っている鳳凰像がモデルとなっております

また、紫式部が書いた源氏物語で宇治の別荘が登場しますが、これはこの平等院がモデルになっているといわれております

日本国のお金にも描かれる鳳凰堂は、よくわからない方には何かただならない建造物だと感じるでしょうが、いつ誰によってどのような目的で建てられたか気になるところですね。そのような歴史的背景について解説し、どんなところなのか見どころなどを紹介したいと思います。

一万円札

一万円札

平等院鳳凰堂ってどんなところ?

平等院鳳凰堂はどんなところなのでしょうか。歴史的背景などについて簡単に解説していきたいと思います。

平等院鳳凰堂はいつ誰が建てた?

平等院鳳凰堂はいつ誰が建てたのでしょうか。平等院の歴史を追っていくと、時代は平安時代まで遡ります。この寺院は1052年に関白であった藤原頼通ふじわらのよりみちによって創建されました。有名な鳳凰堂は翌年の1053年に建てらたものです。

創建者の頼通よりも、その父である藤原道長ふじわらのみちながのほうが有名かも知れませんね。道長と言えば、自分の娘達を次々と天皇の妃にして権力を手に入れ、「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」という強烈な和歌を詠んだことで知られています。

平等院鳳凰堂を作った理由は?

平等院鳳凰堂はなぜ作られたのでしょうか。その理由について解説していきたいと思います。

宇治は元々は天皇や貴族たちの別荘地でした。平等院があるところも元々は道長の別荘があり、宇治院と呼ばれていました。

この時代には末法思想まっぽうしそうというものが広まっていました。末法思想というのは、釈迦が死んでから2000年後に仏法が衰え、世が乱れるという思想です。それが始める年が平等院が創建された1052年とされていました。

世が乱れる苦しい時代から救われるためには、極楽浄土のようすや阿弥陀如来あみだにょらいの姿を心に描くことが進められていましたが、実際にそういったものを普段から見ていたほうが心に描きやすいので、この時代はその類いの彫刻や建造物が多数作られました。

そういった時代背景があって、藤原頼通は父・道長から引き継いだ別荘を寺院に改めました。鳳凰堂周辺の庭園は浄土式庭園じょうどしきていえんといって、これは極楽浄土の世界を再現しようとしたものです。また、鳳凰堂の中には阿弥陀如来の像が安置されております。

まるでこの世のすべてを手に入れたかのような藤原道長も、晩年は病気で苦しんでいたと言います。これを見ていた頼通は、世が乱れて人々が苦しむ時代がいよいよ始めったと思い、創建を後押ししたのかも知れませんね。

阿弥陀如来像(鎌倉大仏)

阿弥陀如来像(鎌倉大仏)

鳳凰堂の名前の由来は?

10円玉にも描かれている鳳凰堂ですが、この名称は後世に付けられたものであり、創建当初は「阿弥陀堂あみだどう」あるいは「御堂」と呼ばれていました

鳳凰堂と呼ばれるようになったのは江戸時代になってからのことであり、正面から見た姿が翼を広げた鳥のように見えることや、屋根に鳳凰像が乗せられていることが名前の由来になっているといわれております。

10円玉

10円玉

屋根の鳳凰像はレプリカ?

鳳凰堂の屋根の上には二体の鳳凰像が配置されておりますが、実はこの鳳凰像は本物ではなくレプリカなのはご存知でしょうか。

本物は境内にある平等院ミュージアム鳳翔館に展示されています。恐らくは経年劣化などを防ぐためだと思われます。

ちなみにこの2つの像(北方像・南方像)は姿かたち同じもののように見えますが、少し大きさが異なります。北方像の総高は235.0cmですが、南方像の総高は228.8cmとなっております。2つの鳳凰像の大きさがなぜ違うのかについては、よくわかりません。

レプリカのほうは金ピカに輝いていますが、本物は金メッキが剥がれていて、見た目は古い青銅の像となっております。

平等院鳳凰堂|鳳凰像

平等院鳳凰堂|鳳凰像

世界文化遺産に登録されている?

平等院は1994年に「古都京都の文化財」として世界遺産登録されました。また鳳凰堂とその中にある阿弥陀如来坐像は国宝に指定されております。

世界遺産登録の理由は当時の建築様式、庭園様式、文化的背景を伝えるものと認められたからです。10円玉にも描かれるような日本と代表する歴史的建造物ですので、まあ当然ですね。

世界遺産登録されている観光地は外国人観光客が多い傾向がありますが、平等院についてもそういった傾向が見られました。

平等院鳳凰堂の見どころは?

さてここからは平等院鳳凰堂の見どころを紹介していきます。

鳳凰堂

なんといっても平等院のメインは鳳凰堂です。見た目は新しい建物の感じがしますが、2012年から2014年にかけて修繕や塗り直しが行われました

個人的には塗り直し前の姿のほうが古い感じがして好きでしたが、調査によって創建時の色がわかってきたという理由もあって塗り直しを行ったようです。

有料ですが建物の中を見学して国宝の阿弥陀如来坐像を見ることができます。ちなみに建物の周辺の池は阿字池あじいけといって、鳳凰堂の姿を写しています。

平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂

浄土院

こちらの浄土院じょうどいんは15世紀末(室町時代)に建てられてものです。

浄土院

浄土院

観音堂

この観音堂かんのうどうは、鎌倉時代初期に建てられたもので、重要文化財に指定されております。

観音堂

観音堂

平等院鳳凰堂のアクセス方法は?

最後に平等院鳳凰堂へのアクセス方法について簡単にふれておきます。

平等院鳳凰堂の最寄り駅は京阪宇治線・宇治駅もしくは、JR奈良線・宇治駅となります。どちらの駅からも徒歩10分程度となります。

まとめ

平等院鳳凰堂がどんなところなのかについて解説し、見どころなどを紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

10円玉にも描かれている鳳凰堂は、日本を代表する歴史的建造物のひとつといっても過言ではないでしょう。屋根の上の鳳凰像が一万円札にも描かれていましたね。

平等院鳳凰堂を見応えがありますが、宇治周辺はあまり都市開発はされておらず、個人的には平安時代にタイムスリップしたような感覚を覚えました。ご興味のある方はぜひ一度行ってみてください。

  • 平等院は1052年に藤原頼通によって創建された。
  • 藤原頼通は有名な藤原道長の息子。
  • 鳳凰堂が建てられたのは1053年。
  • 鳳凰堂を作った理由の背景には末法思想がある。
  • 末法思想というのは、釈迦が死んでから2000年後に世が乱れるという思想。
  • 鳳凰堂は極楽浄土の世界がモデルとなっている。
  • 鳳凰堂は創建当時は阿弥陀堂などと呼ばれていた。
  • 屋根にある黄金の鳳凰像は実はレプリカ。
  • 平等院は「古都京都の文化財」として世界遺産登録されている。

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