京都府八幡市の男山には石清水八幡宮という神社があります。全国には4万4千もの八幡宮がありますが、この神社はその中でも日本三大八幡宮のひとつとされています。
鎌倉時代、吉田兼好によって書かれた徒然草にも登場するこの神社は、いつだれか建てたのでしょうか。名門源氏と関係が深いように見えますが、どうしてなのでしょうか。
石清水八幡宮がどんなところなのかについて解説し、その見どころなどについても紹介したいと思います。ご興味のある方はぜひご覧になってください。
石清水八幡宮ってどんなところ?
日本全国に数多くある八幡宮の総本社は大分県宇佐市にある宇佐神宮ですが、それを筆頭に八幡宮の中でも福岡県福岡市の筥崎宮、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮、そしてこの石清水八幡宮は別格扱いとなっております。
それでは石清水八幡宮がどんなところなのか、簡単に解説しておきたいと思います。
石清水八幡宮は誰が建てた?
この神社を建てたのは誰なのでしょうか。
平安時代、空海の弟子である行教が、九州にある宇佐八幡宮で「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」というお告げを受け、それを朝廷に報告しました。そのお告げを受けた清和天皇の命によって、石清水八幡宮は860年に創建されました。
武家の源氏は清和天皇の子孫で清和源氏と呼ばれることもありますが、この石清水八幡宮は源氏の氏神となっております。東国における源氏の基盤を作った源義家もここで元服して、「八幡太郎義家」と名乗ったといいます。
鎌倉にある鶴岡八幡宮は義家の父・源頼義によって、この石清水八幡宮から勧請されることで創建されました。勧請というのは、分霊を他の神社に移すことで、簡単に言えば同じ御祭神の神社を分裂して増やすことです。
宇佐神宮が発祥の八幡宮はこうやって次々と増えていき、今では全国に4万以上存在するようになっております。石清水八幡宮の名前の由来は、男山の中腹に湧いている石清水という湧き水にあるとされております。
石清水八幡宮の御祭神は?
石清水八幡宮の御祭神は八幡大神と呼ばれる3神です。中央が応神天皇、東側がその母である神功皇后、そして西側が比咩大神で、これは謎に包まれた女性の神ですが天照大御神ではないかともいわれています。
- 中御前:誉田別命(応神天皇)
- 西御前:比咩大神
- 東御前:息長帯姫命(神功皇后)
徒然草で石清水八幡宮が登場?
鎌倉時代末期に吉田兼好によって書かれた徒然草の中に、この石清水八幡宮が登場します。内容は簡単にまとめると、こんな感じです。
仁和寺の法師はひとりで17キロの道のりを歩いて、男山の麓まで来ましたが、筆者の吉田兼好はこの失敗の教訓として、石清水八幡宮のことを知っている人と一緒に行けば、こんなことにはならなかった、つまり、「些細なことでも先導者がほしいものである」と結論づけています。
極楽寺と高良神社は幕末の鳥羽・伏見の戦いの戦火に巻き込まれて、焼失しました。その後、高良神社は再建されています。ちなみに仁和寺は金閣寺の近くに今でもあります。ネットで調べてみると法師の真似をして仁和寺から高良神社まで5時間以上かけて歩いてみた人もいるようです。
くじ引きで将軍を決めた場所?
室町幕府第四代将軍・足利義持は将軍職を息子の義量に譲りますが、病弱だった義量はその数年後に亡くなってしまいます。満17歳だった義量には子供はおらず、義持にも他に男児がいなかったため、政務は元将軍の義持が代行しました。
しかし、義持も後継者を指名することなく没してしまいます。そこで義持の弟たち(義満の子)4人を候補にして、くじ引きで将軍を決めることになりました。
その将軍を決めるくじ引きが行われた場所が、この石清水八幡宮となります。足利氏も元々は源義家の血を引く源氏の家系であり、源氏の氏神であるこの場所が選ばれました。
選出されたのは青蓮院で出家していた義円で、第六代将軍・足利義教となりました。義教はこのため、「くじ引き将軍」と呼ばれました。
世界遺産登録されている?
京都では世界遺産登録されている寺社が複数ありますが、石清水八幡宮はどうなのでしょうか。
結論を言うと、世界遺産を目指す動きはあるようですが、登録はされておりません。本殿など10棟の建物が国宝に指定されております。
石清水八幡宮の見どころは?
ここからは石清水八幡宮の見どころについて紹介したいと思います。
エジソン記念碑
ケーブル男山山上駅から石清水八幡宮へ向かって歩いていくと、エジソン記念碑があります。
なぜここにエジソン? と疑問に思うかも知れませんが、実はこの地とエジソンには関係があります。エジソンは白熱電球の発明で失敗を繰り返しましたが、カギを握っていたのはフィラメント(光と熱を出す部分)の素材でした。
エジソンがようやくたどり着いた素材が、八幡竹と呼ばれるこの辺りにある高品質の竹でした。
本殿
石清水八幡宮の本殿です。江戸幕府3代将軍・徳川家光によって1634年に再建されたもので、国宝に指定されております。
本殿は内殿と外殿からなり、普段は外殿の外から参拝することになります。ただし、特別公開で中に入れることもあるそうです。
内殿と外殿の間には、織田信長が寄進した黄金の雨樋が設置されております。
水若宮社
水若宮社は石清水八幡宮の摂社であり、重要文化財に指定されております。創建年は不明ですが江戸時代前期と見られています。摂社というのは本社の御祭神と関係の深い神を祀った神社のことをいいます。
水若宮社の御祭神は宇治稚郎子でこれは応神天皇の皇太子です。しかし、応神天皇の後を継いで即位したのは大仙陵古墳で有名な仁徳天皇でした。
住吉社
住吉社も石清水八幡宮の摂社で、こちらも江戸時代前期に建てられてものです。御祭神の住吉三神は神功皇后に「新羅を征討せよ。」という御神託を告げた3人の神様です。住吉三神は天照大御神と同じく、伊邪那美命から生まれました。
この住吉社も重要文化財に指定されております。
高良神社
石清水八幡宮から山の下へと行く階段を下っていくと、徒然草で登場する高良神社があります。仁和寺の法師はここや近くの極楽寺を見て、石清水八幡宮だと勘違いしてしまいました。
高良神社は鳥羽・伏見の戦いで消失しましたが、1906年に再建されました。極楽寺もこのとき焼失しましたが、こちらは再建は行われておりません。
石清水八幡宮・頓宮
高良神社を超えて少し進むと、石清水八幡宮の頓宮があります。この頓宮に向かって左(西)側に隣接する形で、徒然草で登場する極楽寺がありました。
石清水八幡宮に行きたくて、何時間も歩いた仁和寺の法師は愚かではありますが、山の下にこんな立派な建物があったら、勘違いする人がいても不思議ではありません。
一ノ鳥居
頓宮から石清水八幡宮駅ほうへと向かっていくと、石清水八幡宮の一ノ鳥居があります。よく見ると、鳥居の「八幡宮」の八の文字が二匹の鳩で描かれております。
これは八幡宮の神様の使いが鳩とされているからだと思います。ちなみに石清水八幡宮の御朱印にも鳩が入っているそうです。
石清水八幡宮のアクセス方法は?
石清水八幡宮の最寄り駅は京阪電車「石清水八幡宮駅」となります。そこから表参道を通って徒歩で行くこともできますが、ほぼ登り坂で30~40分程度かかります。
ゆっくりと山登りをするのもいいですが、観光の場合、通常は男山ケーブルカーを使って、山上まで行きます。
山上の駅から石清水八幡宮までは徒歩で5分程度です。
徒歩で登るのは意外ときついですが、帰りは徒歩でもそれほど体力を使わないで駅に行くことができます。駅に行く途中、高良神社や極楽寺跡があるので、けっこうおすすめです。
まとめ
石清水八幡宮がどんなところなのか、そしてその見どころなどについて紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
古くからあるこの神社は鎌倉時代の古典である徒然草にも登場しましたね。仁和寺の法師は残念ながら麓にあった高良神社や極楽寺を石清水八幡宮と勘違いしてしまいましたが、さすがに今の時代はこういった方はいないことでしょう。
この石清水八幡宮は初詣では大変混むそうですが、普段は山の上でアクセスが不便ということもあって、京都にしては観光客の少ない穴場となっている感じがします。
京都で世界遺産登録されている寺社は外国人観光客で賑わっていますが、ここでは外国人を見かけることはありませんでした。
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