知恩院は京都東山区にあるお寺で、祇園祭で知られる八坂神社と格式高い青蓮院門跡の中間にあります。
一部工事中でしたが、その知恩院を観光してみたのでレポートしたいと思います。
- 知恩院とはどんなお寺?
- 知恩院の見どころは?
- 知恩院のアクセス方法は?
などについてお伝えしていきますので、興味のある方はどうかご覧になって下さい。
Contents
知恩院とは?
知恩院(ちおんいん)とは、平安時代から鎌倉時代かけての僧、法然(ほうねん)によって、1175年に創立されたお寺です。
法然は浄土宗の宗祖であり、後生はこの知恩院で過ごしました。
戦国時代には将軍足利義昭が織田信長に対して挙兵した際、信長はこの知恩院を陣にして勝利を収めたといいます。
また、徳川家康は実は浄土宗信者であり、母である於大の方(おだいのかた)の葬儀を知恩院で行いました。その際に、寺の拡張なども実施しております。
江戸幕府の二代将軍徳川秀忠の長女である千姫のお墓もここにあります。千姫は豊臣秀頼の妻となりますが、大阪夏の陣で家康の命により救出されました。
法然の肖像画(出典:Wikipedia)
知恩院の見どころは?
知恩院の見どころについて紹介したいと思います。
三門
三門(さんもん)は徳川秀忠の命により建立されましたが、人の大きさと比べるとかなり大きいことがわかると思います。
一般的に寺院の門は山門と書きますが、知恩院ではなぜか三門となっております。この三門は国宝に指定されております。
三門の下には賽銭箱がありますが、徳川の紋章が付いております。この辺からも徳川家との関係の深さが伺われますね。
男坂
坂を上がって三門をくぐると、目の前にさらに男坂と呼ばれる坂があります。この男坂はトム・クルーズ主演の大ヒット映画「ラストサムライ」の撮影で、使用された場所です。
男坂は急勾配できつい坂ですが、となりに勾配の緩やかな女坂も用意されております。体力に自身のない方は、女坂に迂回することができます。
阿弥陀堂
阿弥陀堂(あみだどう)は、荒廃のため明治になって一旦取り壊され、その後1910年に再建されました。
中には阿弥陀如来座像があります。中を見ることはできませんでしたが、像については、知恩院の公式サイトで確認することができます。
集会堂
集会堂(しゅうえどう)は1635年に建立されたもので、僧侶の修行の場として使用されてきました。国の重要文化財に指定されております。
御影堂
御影堂(みえいどう)は法然上人の御影を祀る場所です。御影というのは、霊魂を意味します。この御影堂は大殿とも呼ばれ、国宝に指定されております。
工事中だったのが、ちょっと残念です。次の機会にちゃんとした写真が撮れたらと思います。
納骨堂
納骨堂(のうこつどう)は一見、歴史のある建物の感じがしますが、1930年に建てられた、わりと新しい建物です。その名の通り、ご遺骨をお納める(合祀)ところで、だれでも入れるようです。
観光スポットというわけではないのかも知れませんが、手前の石橋と紅葉に囲まれた納骨堂は、とても絵になるような風景です。白人の外国人の方が、この景色を気に入ったらしく、かなり数の写真を粘って撮っておりました。
筆者は入るお墓は決まっておりますが、こんな素敵なところで眠るのも、悪くないなと思いますね。
経蔵
経蔵(きょうぞう)は1621年に徳川秀忠によって、三門と共に建てられました。国の重要文化財に指定されております。
経蔵の鮮やかなその内部は公開されておりませんが、知恩院のホームページで見ることができます。外装からは想像もできないような内装となっております。
法然上人の像
経蔵の先に進んでいくと、法然上人の像がありました。いつ作られたものかは、調べてみてもわかりませんでしたが、わりと新しい感じがします。
この先に、法然上人の遺骨が眠っている建物があります。
勢至堂
勢至堂(せいしどう)は、法然上人が教えを広めた場所です。建物自体は1530年に再建したものだそうですが、織田信長が生まれたのが1534年なので、そのちょっと前ですね。
この勢至堂も重要文化財に指定されております。
御廟
御廟(ごびょう)は法然上人の遺骨を安置している場所です。写真に写っている建物は拝殿となっていて、その奥に御廟があります。
知恩院へのアクセス方法は?
京都駅から知恩院にアクセスする方法は、いくつかありますが、最寄り駅は地下鉄東西線の東山駅となります。
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京都駅からタクシーで約15分
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京都駅から市バス206系統に乗り、「知恩院前」下車。徒歩約5分
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京都駅から地下鉄鳥丸線で「烏丸御池」で地下鉄東西線へ乗り換え。「東山駅」下車で徒歩約8分
京都駅から知恩院までの距離は約4キロ強なので、徒歩で行けないこともありません。ちなみに今回はバス停「祇園」で下車して先に八坂神社を