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青蓮院門跡ってどんなところ?見どころは?相阿弥の庭・親鸞の楠木

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青蓮院門跡

京都の東山区にある青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)は、比叡山延暦寺の三門跡の一つとして古くより知られております。三門跡は他には、

  • 三千院(さんぜんいん)
  • 妙法院(みょうほういん)

があります。青蓮院といえば、数々の皇室出身者が住職を務めてきた格式高い寺院でした。今回は青蓮院門跡の簡単な歴史や見どころについて紹介したいと思います。

青蓮院門跡ってどんなところ?

青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)とは、どんなところなのでしょうか。簡単な歴史などに触れておこうと思います。

青蓮院が創建されたのは平安時代の末期である1150年だとされております

空海と並んで平安時代の有名な僧である最澄(さいちょう)が788年に比叡山延暦寺を開く際に、比叡山山頂に僧侶の住坊を幾つも作りました。そのうちの比叡山東塔の南谷にあった青蓮坊が青蓮院の元となったといわれております。

青蓮坊が比叡山の山下へ移転した当初は今よりも北西の位置にあったそうですが、鎌倉時代に現在の場所に移りました。

青蓮院は青蓮院門跡とも呼ばれます。「跡」という字があるので、焼失した跡なのかなとイメージするかも知れませんが、特にそういったことはありません。ただし、後述しますが近年に放火事件があって、一部の建物が焼失しました。

門跡というのは皇族・公家が住職を務める特定の寺院のことをいいます。

青蓮院と足利義教(義円)

室町時代には後に第6代将軍となる足利義教(あしかがよしのり)が青蓮院の門主を務めました。義教は将軍になる前は義円(ぎえん)と名乗っていましたが、青蓮院義円とも呼ばれることもあります。

義円は金閣寺で有名な第3代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)の子供で幼いうちから寺に入れられました。やがて比叡山延暦寺の長である天台座主(てんだいざす)まで上り詰めます。

第4代将軍は義円の兄である足利義持(あしかがよしもち)でしたが、その唯一の息子である義量(よしかず)は将軍職を譲ってもらってから数年で亡くなってしまいました。

将軍の直系の血筋が絶えたことにより、時期将軍は四人の候補者からくじ引きで選ばれることになりました。このくじ引きは京都府八幡市にある石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で行われましたが、このときにくじで当たったのが義円だったのです。

石清水八幡宮

石清水八幡宮

足利義教(義円)は将軍に就任してからは、ひたすら恐怖政治を行ったと言われております。

「比叡山の焼き討ち」といえば織田信長が有名ですが、実は信長よりも前に義教は比叡山を焼き討ちしております。そう、自分が幼い頃から仏教を学んできた場所である比叡山延暦寺をなんと焼き討ちしてしまったのです。

現代の価値観でお寺を焼き討ちするなど、ものすごく悪のような感じがしますが、当時のお寺は武装していて、ときには武力も行使する集団でした。

比叡山延暦寺といえば武蔵坊弁慶が有名ですが、なんで僧が武器を振り回しているのか考えてみたら不思議ではありませんか? 実は弁慶は僧兵です。僧でありながら、持ち前の怪力で「7つ道具」とも呼ばれる複数の武器をを使いこなしました。

足利義教は最後は赤松満祐(あかまつみつすけ)という家臣の裏切りで、49歳で討たれました。このときの年齢も家臣の名前が名字が「あ」で始まり、名が「み」で始めるのも、なんだか信長とよく似ていますね。

青蓮院門跡の見どころは?

それでは青蓮院門跡の見どころについて紹介したいと思います。

下の青蓮院門跡境内図からわかるとおり建物が多いですが、基本的に建物の内部は撮影禁止となっております。

青蓮院門跡の境内図

青蓮院門跡の境内図

薬医門

入り口にあたる薬医門(やくいもん)です。八坂神社から歩いてきましたが、10分もかからないで来れました。

青蓮院門跡の薬医門

青蓮院門跡の薬医門

長屋門

薬医門の右手に見られるのが長屋門(ながやもん)です。明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したものだそうです。明正天皇というの江戸時代の天皇で女性です。3代将軍、徳川家光の姪にあたります。

青蓮院門跡の長屋門

青蓮院門跡の長屋門

相阿弥の庭

事務所で拝観料を払うと、まずはいくつかの建物の中を廻ることになります。撮影禁止ですので中の様子の写真をお見せできないのが残念ですが、建物を一通り見ると、今度は庭に出ます。

こちらは相阿弥の庭(そうあみのにわ)です。相阿弥というのは室町時代の絵師、鑑定家、連歌師で、彼によって作られた庭だとされております。

青蓮院門跡|相阿弥の庭

青蓮院門跡|相阿弥の庭

一部が鮮やかな紅葉になっています。青蓮院門跡は紅葉のスポットとしても紹介されることが多々ありますが、それらの紹介写真をみると、もう少し紅葉が多い感じがします。このときは、やや紅葉のピークとずれてしまったのかも知れません。

青蓮院門跡|相阿弥の庭

青蓮院門跡|相阿弥の庭

好文亭

相阿弥の庭を進んでいくと割と新しい建物が見えてきました。好文亭(こうぶんてい)といいますが、1993年に放火により焼失して、1995年に再建されたものです。

放火は極左過激派の反皇室闘争目的で行われ、他にも仁和寺、三千院、田中神社が放火されました。詳細については「京都寺社等同時放火事件」で検索してみてください。

好文亭では春と秋に特別拝観期間があり、中で休んで抹茶を飲むことができます。

青蓮院門跡|好文亭

青蓮院門跡|好文亭

日吉社

階段を上がった所に日吉社(ひよししゃ)があります。

日吉社 階段

天台宗系の寺院にはよく日吉社がありますが、天台宗の宗護神である日吉山王(ひよしさんのう)が祀られております。

青蓮院門跡|日吉社

青蓮院門跡|日吉社

親鸞の植えたとされる楠木

こちらの楠木は親鸞聖人(しんらんしょうにん)によって植えられたとも伝えられております。

親鸞聖人は鎌倉時代の僧で浄土真宗(じょうどしんしゅう)の開祖です。浄土真宗は親鸞の子孫である蓮如(れんにょ)によって広く普及しましたが、本願寺は浄土真宗のお寺です。浄土真宗は後に石山合戦などで織田信長を苦しめました。

信長と戦っていたときは、今の大阪城がある場所に本願寺がありましたが、講和後に今の京都駅の前に移されました。

京都駅の前の本願寺については、以前の記事で紹介しております。

親鸞の植えたとされるクスノキ

親鸞の植えたとされるクスノキ

ちなみに青蓮院門跡の庭には親鸞の少年時代の銅像(鸞聖人童形像)もあります。

青蓮院門跡|親鸞聖人童形像

青蓮院門跡|親鸞聖人童形像

本堂

木に隠れてますが、真ん中の奥に見える建物が本堂(ほんどう)です。国宝である青不動画像の複写が安置されております。

青蓮院門跡|本堂

青蓮院門跡|本堂

宸殿

こちらは宸殿(しんでん)といって、門跡寺院にしかない建物です。徳川家康の孫である徳川和子(とくがわかずこ)の御所を移転したものだそうです。1893年に一度焼失しておりまり、再建されました。

青蓮院門跡 宸殿

春と秋の夜間特別拝観時には、この宸殿のあたりは青色にライトアップされて、とても綺麗です。

青蓮院門跡|ライトアップ

青蓮院門跡|ライトアップ

鐘楼

鐘楼(しょうろう)です。「ご自由にお撞き下さい」と書いてあったので、もちろん鳴らしてみました。今は鐘が撞けないところが多いので、ちょっとうれしかったです。

古くからあるものなら、親鸞や足利義教も撞いたことがあるのかも知れませんが、創建年代はちょっと調べた感じでは不明です。

青蓮院 鐘楼

秋の紅葉

青蓮院では例年ですと10月下旬~12月上旬が紅葉の見頃です。このときは11月末で、ところどころで紅葉が見られました。

青蓮院の紅葉

青蓮院門跡へアクセスするには?

青蓮院門跡の最寄り駅は地下鉄東西線「東山駅」ですが、アクセスするには次の方法があります。

  • 京都市営バス「神宮道」下車で徒歩3分
  • 地下鉄東西線「東山駅」下車で徒歩5分
  • タクシー

今回は京都駅より市バスで「祇園」下車して、八坂神社を観光した後、歩いて青蓮院門跡まで行きました。途中には知恩院という観光スポットもあります。

まとめ

青蓮院門跡の簡単な歴史や見どころなどについて紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

本来なら建物内部の様子も紹介したいのですが、撮影禁止になっているので仕方ありません。ぜひ、ご自身の目で確かめていただけたらと思います。

一通り廻っての所要時間は約40分程度でした。写真を撮りながらでしたので早い人なら30分程度で観光できるかもしれません。茶室で休憩したい方はもう少し時間を取っておいたほうがよいでしょう。

今回は昼間に来ましたが、夜間のライトアップも評判がよいようで、京都のおすすめライトアップスポットとして記事で紹介されているのを何回か見ました。

青蓮院門跡の近くには知恩院や八坂神社といった観光スポットもありますし、ちょっと歩けば高台寺や清水寺にも行くことができます。それにしても、それら周辺の場所もライトアップされているので、夜間拝観はどこにしようかと迷ってしまうかもしれません。

一気に、2つ3つライトアップを見ることも可能ではありますが、どうせならゆっくりと見てみたいものです。あと、夜間拝観の料金は意外と高かったりするので予算に限りのある方は、はしごするは結構辛いです。

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