小田原城ってどんなところ?難攻不落なのはなぜ?見どころは?

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小田原城

小田原駅からはお城が見えますが、これは難攻不落として知られた小田原城です。この城にはどのような歴史があって、なぜ難攻不落といわれるのかご存知でしょうか。

小田急の箱根フリーパスは小田原も自由乗り降り区間にはいっております。箱根には何回も言っているので、今回はこれを使って小田原駅の周辺を廻ってみることにしました。

小田原城のすぐ近くには、そのすぐとなりには尊徳二宮神社があります。小田原城の歴史や見どころなどを紹介したいと思います。

小田原城ってどんなところ?

この小田原城ですが、どんなところなのかご存知でしょうか?

小田原城と言えば、かつては戦国大名の北条氏の居城でした。いつ築城されたのかは明らかにはなっていませんが、室町時代にこの辺り一帯を支配していた大森頼春(おおもり よりはる)が、現在の県立小田原高等学校付近の高台に築いた山城が前身と言われています。

小田原城が難攻不落なのはなぜ?

小田原城は難攻不落の城として有名で、かつては武田信玄や上杉謙信といった強力な武将たちを退けました。では、なぜ難攻不落だったのでしょうか?

難攻不落の理由は堀で囲まれた城下で食糧生産ができるため、長期戦になっても持ちこたえることができたからだと言われております。

上杉謙信は約10万の大群でこの城を攻めましたが、城主の北条氏康は激しく抵抗して長期化し、次第に兵たちの不満が溜まっていきます。そして1⃣ヶ月ほどで城の攻略を諦めました。

このとき上杉謙信は鉄砲の射程距離に入って座り込んで酒を飲みだし、氏康を挑発したという逸話がありますが、史実かどうかは定かではありません。

小田原城の模型

小田原城の模型

小田原城を落とした秀吉のトリックとは?

難攻不落とされたこの小田原城もついに落城する日が来てしまいます。1590年のことでした。

天下統一を目前としていた豊臣秀吉にも北条氏はこの城にたてこもって抵抗しましたが、最後は突如姿を表した石垣山一夜城に驚いて戦意を喪失してしまい、降伏したとされています。

これは、小田原城から木々で見えないように城を築城し、完成後は周りの木々を伐採して、突如城が現れたように見せる秀吉のトリックでした。

石垣山一夜城については現在は公園として整備されていますが、後ほど簡単に紹介したいと思います。

小田原城の見どころは?

さてここからは小田原城の見どころについて紹介したいと思います。現在の場内マップにつきましては公式ページを確認してください。

天守閣

天守閣の見た目は比較的きれいですが、小田原城は2016年の5月に天守閣の改修が完了しております。

小田原城は明治維新後の1870年に廃城となり、そのときにほとんどの建物は解体されてしまいました。現在の天守閣が再建されたのは1960年で、昭和になってからです。

天守閣の中は資料館(有料)になっており、ビデオなども放映されております。最上階は展望台となっており、小田原の街や箱根の山などが一望できます。

小田原城の天守閣

小田原城の天守閣

こちらの景色は天守閣の展望台から見た箱根の山々ですが、ちょっと曇り気味です。

小田原城天守閣からの景色・箱根の山

小田原城天守閣からの景色・箱根の山

天守閣の展望台からは海も見えます。

小田原城天守閣からの景色・海

小田原城天守閣からの景色・海

小田原城の天守閣は時期によって、夜間はライトアップされます。このときは、あいにく急激な雨にあってしまいました。

小田原城ライトアップ

小田原城ライトアップ

常盤木門

小田原城には天守閣以外にも門や堀などあり、難攻不落と言われていた城の面影を見ることができます。

本丸の正門である常盤木門(ときわぎもん)は1870年の廃城で取り壊されましたが、1971年に明治時代の写真などを参考にして復元されました。

この門の2階は「常盤木門SAMURAI館」となっており、日本刀や甲冑などが展示されております。

小田原城の常盤木門

小田原城の常盤木門

銅門

こちらの銅門は二の丸の正門で読み方は「あかがもん」といいます。1995年に復元されたものです。このときは2階の中に入ることが出来ましたが、いつでも公開しているというわけではないようです。

2階の中に興味のある方は小田原城の公式ページで事前に確認しておくことをおすすめします。

小田原城の銅門(あかがもん)

小田原城の銅門(あかがもん)

馬出門と内冠木門

左側の門が馬出門(うまだしもん)で、右の門が内冠木門(うちかぶきもん)です。どちらも2009年に復元されました。

小田原城の門

小田原城には立派な堀もあります。かなりの広さで、難攻不落だった面影が見られます。

小田原城の堀

小田原城の堀

小田原城の堀

小田原城の堀

小田原城歴史見聞館(NINJA館)

筆者が小田原城に行ったときにはなかったのですが、2019年4月に小田原城歴史見聞館(NINJA館)がオープンしました。

映像や展示を通じて北条氏の歴史やそれを支えた風魔忍者について学ぶことができるとともに、忍者体験もできます。子供が喜びそうなアトラクションですね。

北条家に使えた忍者といえば、風魔小太郎(ふうまのこたろう)が有名ですが、これは風魔忍者の棟梁を表し、代々世襲された名前だそうです。五代目の風魔小太郎は身長が2メートルを超える大男だったと伝えられております。

筆者も興味があるので、機会があったら「NINJA館」に行ってみたいと思います。

小田原城周辺の見どころは?

ここからは、小田原城周辺の見どころについて紹介したいと思います。

尊徳二宮神社

小田原城天守閣のすぐ近くには尊徳二宮神社があります。江戸時代に数理、土木建築技術から文学までいろいろな才能を発揮した偉人、二宮尊徳を祀る神社です。

報徳二宮神社

二宮尊徳(二宮金次郎)といえば、薪を背負って歩きながら本を読んでいる像が有名ですね。

この尊徳像は勤勉の象徴となっておりますが、今、街では同じような人たちをよく見かけますね。見ているのは本ではなくてスマホで、はたして勤勉なのかどうかは疑問は残ります。

この尊徳二宮神社が誕生した由来は、二宮尊徳の出生は小田原であり、尊徳を祀るために明治の時代にできたということです。

二宮金次郎像

二宮金次郎像

きんじろうカフェ

尊徳二宮神社の中には「きんじろうカフェ」があって、食事やコーヒーブレイクすることができます。

きんじろうカフェのメニューである「二宮尊徳の食事」というのが気になったので注文してみました。メインはご汁(ごじる)という冷たい大豆の味噌汁です。体に良さそうなものがいろいろと入ってましたし、これを食べると、なんだか尊徳のように頭がよくなりそうな気がしてきました。

二宮尊徳の食事

小田原市立三の丸小学校

小田原城の城門を出ると近くにちょっと気になる建物がありました。

和風で綺麗に整備された建物でホテルか何かだと思ったのですが、行ってみると意外にも小学校でした。小田原城周辺の景観を損ねないようにこのような造りになっているのでしょうが、こんな小学校にいける子どもたちが羨ましいと思いました。

観光スポットというわけではないですが、ちょっとびっくりしたのでレポートしておきます。

小田原城近くの小学校

生命の星・地球博物館

箱根登山鉄道で小田原から数駅の入生田駅近くには「生命の星・地球博物館」があります。中はかなり広く、隕石や恐竜の化石などを見ることができ、ドキュメンタリー映画なんかも上映しております。小田急電鉄の箱根フリーパスがあれば、割引料金で入場することができます。

生命の星・地球博物館 ティラノサウルスの化石

生命の星・地球博物館 ティラノサウルスの化石

石垣山一夜城

石垣山一夜城は豊臣秀吉が小田原城を落とすために作った城です。車などがあれば、簡単に行くことができますが、電車だと最寄りの駅は箱根登山鉄道の入生田駅またはJR早川駅で、そこからひたすら坂道を3キロ以上歩くことになります。

本数は少ないですが、小田原駅から「小田原宿観光回遊バス」で行くことも可能です。バスの詳細につきましてはこちらをご確認ください。

石垣山一夜城からの眺め

石垣山一夜城のハイキングレポートは別の記事にしております。

まとめ

かつては難攻不落の城と言われた小田原城の見どころなどについて紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

近年になって、門などが復元されているのがいいですね。子供が喜びそうな「NINJA館」も最近オープンしました。奈良では平城京の復元が進んでいますし、観光がもっとブームになれば、こういった動きはもっと活発になると思います。

観光地としては箱根のほうが有名ですが、小田原にも見どころはあります。なんといっても、非常にお得な箱根フリーパスが小田原周辺でも使用できる点が大きいです。

  • 戦国大名の北条氏の居城。
  • いつ築城されたのかは明らかになっていない。
  • 武田信玄や上杉謙信がこの城の攻略を途中で断念。
  • 難攻不落の理由は堀で囲まれた城下で食糧生産ができるため。
  • 豊臣秀吉がトリックを使って落城させた。

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