京都市左京区にある銀閣寺は、京都でも屈指の有名観光スポットと言えるでしょう。
「古都京都の文化財」が1994年に世界遺産に登録されましたが、この銀閣寺はその構成資産の一つです。また銀閣、金閣と西本願寺にある飛雲閣を合わせて、京の三閣と呼ぶこともあります。
- いつ、だれが建てた?
- 建てた理由は?
- 銀色じゃないのはなぜ?
- 名前の由来は?
銀閣寺についてのこのような疑問に答え、見どころなどを紹介していきたいと思います。
銀閣寺ってどんなところ?
銀閣寺はどんなところなのでしょうか。いつ誰が建てた寺なのでしょうか。その辺の簡単な歴史について説明しておきます。
銀閣寺を建てた人は?
銀閣寺の創建した人がだれなのかは教科書などにも登場するので、知っている方も多いかもしれません。
このお寺の創建者は室町幕府の第8代将軍である足利義政(あしかがよしまさ)で、創建年は1490年となります。足利義政は、金閣寺の創建者である足利義満(あしかがよしみつ)孫にあたります。
義満の時代は室町幕府の全盛期ともいえ、明の貿易などで栄華をほこりました。対象的に義政の時代は幕府で財政難で苦しんでいました。
銀閣寺を建てた理由は?
それでは足利義政が銀閣寺を建てた理由に、彼のエピソードとともに迫っていきたいと思います。
義政の将軍時代に、京都を焼き尽くした応仁の乱(1467年)が起こりました。この戦の原因は義政の後継者を巡って、弟の義視(よしみ)と息子の義尚(よしひさ)が対立したためです。息子のいなかった義政は弟の義視を後継者と決めていましたが、その後に義尚が誕生してしまいました。
10年以上続いて京都を焼き尽くした応仁の乱を抑えることができなかった義政は、1473年に将軍職を息子の義尚に譲って、政治の世界から身を引きます。
そしてこの銀閣寺を創建することになるのですが、建てた理由は隠居生活を送るための別荘がほしかったためです。義政の心情が影響しているのか、財政の問題なのかはわかりませんが、金ピカで鮮やかな金閣寺と比較すると、銀閣寺はかなり素朴な作りとなっております。
義政の財政難に関するエピソード
明との貿易などで栄華を誇った足利義満の時代とは対象的に、義政の時代は幕府は財政難に悩まされておりました。財政難に対処する義政のエピソードを紹介したいと思います。
義政が将軍に就任する前に室町幕府は、徳政令を発令します。徳政令というのは「借金の帳消し」なのですが、これによってお金を借りている人たちは助かりましたが、貸している側の土倉・酒屋(高利貸)は大打撃を受けました。
そのため高利貸からの税収が思うように入らなくなり、幕府の財政難となっていました。また、金貸し業がお金を貸すのを渋れば、経済が回らなくなくなって不況になるほが一般的です。
財政難をしのぐために、義政は祖父である義満の集めた美術品などを売るなどしていたといいます。有名な茶入である九十九髪茄子(つくもかみなす)は、義政から家臣の山名是豊(やまな これとよ)に与えられ、やがては織田信長の手にわたります。
本能寺の焼跡から発見された九十九髪茄子は豊臣秀吉に献上されました。秀吉の死後、大阪夏の陣で焼け落ちた大阪城から九十九髪茄子は、バラバラになった破片となって発見されましたが、家康はこれを修復させました。
出来栄えがよかったため、家康は褒美として修復した藤重藤元にこれを与えました。この天下人の茶器とも言えるものを、家康は本当は自分で使用したかったと思われますが、彼の気前の良さを表すエピソードではないでしょうか。
現在はこの九十九髪茄子は東京の世田谷区にある静嘉堂文庫に保管されております。
銀閣寺の名前の由来は?
銀閣寺というのはこの寺院の正式な名称ではありません。銀閣寺の正式名称は東山慈照禅寺(とうざんじしょうぜんじ)といいます。ではなぜ銀閣寺と呼ばれるのでしょうか。
残念ながら、銀閣寺の名前の由来については明らかになっておりませんが、そう呼ばれるようになったのは江戸時代以降のことだそうです。
名前の由来の一つの説としては「金閣寺と対比されることで銀閣寺となった」ことです。しかしながら、金ピカの鹿苑寺が金閣寺と呼ばれるのは納得がいきますが、銀閣寺は銀色でもなんでもありません。
かつては貼られていた銀箔が剥がれたのかというと、これは2007年の学術調査で銀箔を貼られた形跡がないことが確認されました。外壁には黒漆塗が塗られた形跡があり、色は黒だったことが判明しております。
これについては、創建当初は銀箔を貼る予定だったのですが、財政難によりそれがかなわなかったという説や、銀閣寺の完成の前に義政が亡くなってしまったので、貼るのをやめたといった説があります。
ところで銀閣寺の名前の由来には、もう一つの説があります。
銀閣寺の建物の前には銀沙灘(ぎんしゃだん)と呼ばれる砂盛があります。砂盛りには月の光を反射させて建物を照らす役割があるといわれていますが、照らされた建物が銀色に輝いていたことから銀閣寺と呼ばれるようになったという説です。
ちなみに銀沙灘に不思議な砂の台が建っていますが、これは向月台(こうげつだい)といいます。月を見るための台という説がありますが、わざわざこのような登りにくい台に上がらなくても月は見ることはできるので、謎に包まれています。
銀閣寺の見どころは?
それでは銀閣寺の見どころについて紹介していきたいと思います。見学の所要時間は30分程度あれば、十分に見れると思いますし、落ち着いてゆっくりと拝観したい方は1時間ぐらいで見ておけばよいでしょう。
観音殿
この観音殿は銀閣寺を代表するスポットです。銀閣寺と聞くと、この建物を連想する人が多いのではないでしょうか。
建築様式は一階と二階で異なります。一階は茶室や書斎などに使われて、書院造(しょいんづくり)となっております。二階は禅宗様(ぜんしゅうよう)といった禅宗とともに中国から伝わった建築様式です。二階には観音像が安置されております。
観音殿は創建当時の建物が現存しており、国宝に指定されております。ちなみに金閣寺は1950年に放火によって消失し、そのご再建されたため、国宝から外れてしまいました。
金閣寺放火事件の詳細に興味がある方は、次の記事を参考してみてください。
庭園と錦鏡池
素朴な建物も魅力的ですが、素晴らしい庭園も銀閣寺の見どころとなっております。観音殿の前には錦鏡池がありますが、これは建物が池に映るように設計されております。
洗月泉
湧き水を錦鏡池に注ぐ小さな滝がありますが、これは洗月泉といいます。パワースポットとして知られているようで、周辺には多くのお賽銭が投げ込まれていました。
東求堂
この東求堂は造営当時の建物として現存しているもので、観音殿と同様に国宝に指定されております。中は4つの四畳半部屋に分かれており、茶室などがあります。最古の書院造りの建物であり、四畳半の茶室の発祥の地とも言われております。
展望台
銀閣寺の庭園には展望台があって、観音殿を上から見下ろすことができます。それほど高くはないですが、京都の街並みをそれなりに見ることができます。
銀閣寺周辺の見どころは?
銀閣寺周辺の見どころについて、いくつか紹介したいと思います。
哲学の道
哲学の道は銀閣寺から1キロ弱の場所にあります。哲学者の西田幾太郎らが思索にふけりながら、この未知を歩んだことから、哲学の道と呼ばれるようになったといいます。春は桜、秋には紅葉のスポットとなっております。
永観堂(禅林寺)
永観堂は853年創建の古いお寺で、銀閣寺から1.5キロほど離れた場所にあります。秋は紅葉の名スポットとして知られています。
京都には紅葉のスポットが数多く存在しますが、ここが一番いいといった方も多いのではないでしょうか。
南禅寺
南禅寺は銀閣寺からは2キロ弱の場所にあります。
足利義満の時代、京都の天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺を京都五山、鎌倉の建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺を鎌倉五山と定められましたが、この南禅寺はその上に立つ別格の扱いとされていました。
銀閣寺のアクセス方法は?
京都駅からの銀閣寺へのアクセス方法について簡単に説明しておきます。
電車でのアクセス方法は?
銀閣寺の最寄りの駅は比叡電鉄本線の「元田中駅」です。ただ、元田中駅から銀閣寺までは約30分徒歩で歩くことになります。
距離的にはほとんど変わらない「出町柳駅」のほうが、叡山本線・京阪本線・鴨東線が通っているので利便性が高いと思います。京都駅から行くには、JR奈良線で東福寺へ行き、京阪本線に乗り換えます。
バスでのアクセス方法は?
最寄りのバス停は市バスの「銀閣寺前」となります。ここから銀閣寺までは徒歩7分程度となっております。京阪バスの「銀閣寺道」からも10分程度です。どちらも京都駅から発車しております。
銀閣寺に駐車場はある?
銀閣寺の境内には駐車場はありませんが、徒歩数分の場所に市営の駐車場があります。この駐車場は繁忙期にはバスやタクシーが優先され、自家用車はお断りされることがありますので、ご注意ください。
まとめ
古都京都の文化財として世界遺産登録されており、京都でも屈指の観光スポットである銀閣寺の歴史や見どころなどについて紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
中には小さいお子さんがいて、ベビーカーを持ち込めないかと考える人もいるかもしれません。一応、銀閣寺はベビーカーの持ち込みは大丈夫となっておりますが、境内の地面がベビーカーに十分に適しているとはいえません。銀閣寺を十分に堪能したいなら、抱っこ紐を使ったほうがよさそうです。
銀閣寺の境内自体は所要時間30分程度で廻れますが、参道にはいろいろな商店があって、そこで食べ歩きなどを楽しむこともできます。
- 銀閣寺の創建は1490年
- 創建者は室町幕府第8将軍・足利義政
- 建てた理由は義政が隠居生活を送るため
- 正式名称は東山慈照禅寺
- 銀箔が貼られていた形跡はない
- 銀閣寺と呼ばれるようになったのは江戸時代以降
- 名前の由来は諸説ある
- 観音殿・東求堂は創建当時の建物で国宝
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