二条城といえば京都でも屈指の観光スポットであり、修学旅行などで行ったことがあるという方も多いのではないでしょうか。
二条城に行ったことはあるけれど、どんなところでどんな歴史があるのかは、意外と知らいない方も多いかもしれません。
この城は大政奉還が行われた場所で、江戸幕府の終わりの地としてよく知られていますが、江戸幕府始まりの地でもあります。そのあたりの簡単な歴史や疑問に触れてみて、見どころを紹介したいと思います。
- 築城はいつなのか?
- 世界遺産なの?
- どれぐらいの広さなの?外周は?
- 大政奉還が行われた部屋はどこ?
- 徳川家康と二条城の関係は?
- 織田信長と二条城の関係は?
- 観光するのに所要時間はどのくらい?
二条城ってどんなところ?
二条城がどんなところなのか簡単に歴史などに触れておきたいと思います。この城が築城されたのは関ヶ原の戦い(1600年)の後、江戸時代が始まった1603年で、築上主は江戸幕府初代将軍の徳川家康です。
この二条城は家康が征夷大将軍に任命された場所でもあり、また徳川慶喜が政権を朝廷に返した(大政奉還)場所でもあります。つまり、江戸幕府の始まりと終わりの場所ということになります。
大政奉還は二の丸御殿の大広間で実施されました。二の丸御殿は写真撮影禁止ですが、中に入って見学するすることができます。
二条城の外周は約2キロであり、距離的にちょうどいいということで皇居同様、ランニングの聖地になっております。敷地面積の広さはおよそ275000平方メートルで東京ドーム約6個分です。
家康はなぜ京都に城が必要だった?
ここである疑問が生まれます。
ひとつは近くの京都御所にいる天皇を守るためです。京都御所は1331年(鎌倉時代末期)に建てられたもので、この時代の他の城と比較すると明らかに防御力が低く、その気になれば攻め込めてしまいます。
もうひとつは家康が京都に来たときに滞在する場所が必要だったからです。京都といえば、豊臣秀吉の居城であった伏見城がありますが、京都御所からは少し距離があります。
信長は城よりも防御力の低いお寺に滞在して、失敗しています。信長終焉の地である本能寺も京都御所にわりと近い場所にありました。
現在の一般的なお寺と違い、当時の本能寺も塀にか囲まれて、それなりには防御力はありました。野党などの襲撃には対応できたでしょうが、軍に攻撃されたらひとたまりもありませんでした。本能寺は現在は西の方に移転されましたが、その跡地に石碑が建っております。
二条城はいくつもある?
次のような疑問を持つ方もいるかもしれません。
確かにその考えは間違ってはいません。二条城というのは歴史上、何回か登場しますが登場しますが、家康が築城したものとは建物も場所も別もので、それは旧二条城などと言われたりします。
室町幕府の創始者である足利尊氏の屋敷がこのあたりにあって、二条陣とか二条城、二条御所とか呼ばれたいたともいいます。
また、室町幕府13代将軍・足利義輝の御所や、信長が15代将軍・足利義昭のために立てた御所も二条城と呼ばれることがあるし、そして信長が自身の滞在場所として整備し、後に皇太子(誠仁親王)に献上した建物も二条城と言われることがあります。
ちなみに信長が整備して滞在地だった御所の跡地には石碑が建てられております。本能寺の変の際には信長の長男・信忠はここに籠城して明智光秀と戦い、そして自害へと追い込まれました。ここの防御性は本能寺などの寺よりはマシという程度であまり優れてはいなかったようです。
建物の名称は明確に定義されているわけではないのですが、わかりやすく整理するとこんな感じです。
- 足利尊氏が住んでいた屋敷 → 足利尊氏邸
- 足利義輝が永禄の変で襲撃された場所 → 二条御所
- 信長が足利義昭のために二条御所の跡地に建てた → 旧二条城
- 信長が誠仁親王に献上し、織田信忠最期の地 → 二条新御所
- 家康が築城した城 → 現・二条城
二条御所(旧二条城)は京都御苑に隣接しており、二条新御所とは別の場所です。旧二条城は義昭を追放した後、信長によって破壊されました。この城は堀などもあって、それなりの防御性があったみたいです。
下のマップで見ると、足利尊氏邸の左にある京都国際マンガミュージアムの辺りが二条新御所、旧二条城(二条御所)はセブン-イレブン京都烏丸丸太町西店の上辺りになります。
二条城の区画は方角が少しずれている?
二条城の周辺地図を見ると、なにか違和感を感じる方もいるかもしれません。
元々、二条城の周辺は平安京の一部であり、通りや建物は測量に寄って真北から真南に向かって作られています。しかし、グーグルマップなどの地図を見ると、二条城だけ少し東に傾いている感じがします。
実際、周辺の通りなどと比較すると、二条城の区画は3⃣度東にずれているといいます。
普通に考えれば、他の建造物と綺麗に向きを揃えたほうが見栄えがいいと思いますが、なぜこのようなズレが生じているのかご存知でしょうか?
この傾きの原因は築城当時日本に入ってきたコンパスにあります。この頃のコンパスは真北から東に少しズレていました。平安京を建てた頃はコンパスなどなく、北極星の位置で北を判断していましたが、二条城建設の際はコンパスを使って測量されました。
ちなみに地球の自転軸は長い時間をかけて少しずつ変化しているため、現在では二条城は真北から東に7⃣度傾いております。仮に二条城築上の際に北極星で方角を決めていたとしても、平安京遷都から時間が経っているため、周辺の平安京の区画とは多少ズレが生じていたと思われます。
二条城は世界遺産登録されている?
近年では日本の観光地が次々とユネスコの世界遺産に登録されていますね。二条城についても古都京都の文化財を構成する要素の1つとして、1994年に世界遺産登録されました。
その他の古都京都の文化財には、清水寺、上賀茂神社、下鴨神社、比叡山延暦寺、金閣寺、銀閣寺、醍醐寺などがあります。どれも京都を代表する観光名所ばかりです。
二条城の見どころは?
それでは、二条城の見どころについて紹介したいと思います。こちらは二条城のマップですが、場内はなかなかの広さで、廻るにはある程度時間がかかります。
二条城見学の所要時間は普通の人で1時間から1時間半ぐらいです。筆者はゆっくりと写真を取りながら廻って、1時間45分程度でした。
正門をくぐって順路に反して右側にいくと大休憩所がありますが、そこにはコインロッカーがあります。荷物を軽くしたい方は、ぜひ利用してください。
東大手門
二条城の正門である東大手門は重要文化財に指定されております。1662年に建築されたものです。
東南隅櫓
東大手門の左手には櫓がありますが、これは東南隅櫓(とうなんすみやぐら)といって、重要文化財に指定されております。元々、櫓は4隅にありましたが、残っているのは2つです。
唐門
東大手門を通って順路を進んでいくと、豪華な門が見えてきます。こちらは唐門です。
屋根の下に天皇家の紋章である菊の紋が飾られていますが、修復の際に徳川家の葵の紋の上に被せられていることが発覚しました。
菊の紋のアップがこちらです。この金色の紋の部分が大政奉還までは、葵の紋だったということです。
ご参考までに、こちらは京都の知恩院で撮影した「葵の紋」の賽銭箱です。
二の丸御殿
唐門の先にある広い建物が二の丸御殿です。この建物は国宝に指定されており、中の大広間で大政奉還が行われました。
二の丸御殿の中は写真撮影禁止となってみるので、お見せできないのが残念ですが、壁画など見どころ満載です。大広間の背後には武者隠しの間という隠し部屋があります。武装した護衛が待機しており、将軍が合図すると飛び出してくるように備えていました。
中の見取り図などは、二条城のサイトで確認できます。
二の丸御殿の入口付近にはなぜか釣鐘が2つ置いてあります。かつては二条城と北側所司代の連絡用に使用されていたそうです。所司代というのは、京都治安維持のための行政機関です。
二の丸御殿には、二の丸庭園という立派な庭園が隣接しております。
本丸櫓門
二条城の本丸は堀に囲まれており、本丸へと続く橋が東橋、その先にあるのが本丸櫓門です。本丸の建物は1788年の天明の大火でほとんどが焼け落ちてしまいましたが、この門は残りました。重要文化財に指定されております。
天守閣跡
二条城にはかつては天守閣がありましたが、現在はその石垣だけが残っております。1750年に落雷により焼失して、その後は再建されることはありませんでした。
石垣の上に行くことができ、そこからの景色はなかなかのものです。
本丸御殿
こちらは本丸御殿です。本丸御殿は天明の大火で焼失しましたが、1894年に明治天皇の意向で京都御所にあった桂宮御殿をここに移設しました。
現在は中に入ることはできませんが、二条城のサイトで中の様子を知ることができます。
清流園
二条城の北側にある庭園は清流園といいます。
清流園にある香雲亭は、結婚式の挙式場などに活用されています。一般の観光客は基本的には中に入ることはできません。
清流園にはもみじの木もあって、秋のシーズンには紅葉を楽しむこともできます。
二条城へのアクセス方法は?
京都駅から二条城にアクセスには、主に地下鉄を利用する方法とバスを利用する方法があります。距離的には4キロ弱なので、徒歩でいけないこともありません。
地下鉄でのアクセス
地下鉄を利用する場合は最寄りの駅は地下鉄東西線「二条城前駅」となります。京都駅から地下鉄烏丸線に乗って烏丸御池駅(からすまおいけえき)に行き、そこで地下鉄東西線に乗り換えます。
烏丸御池駅から二条城までは1キロ未満なので、乗り換えしないで徒歩で行く方法もあります。
バスでのアクセス
バスを利用する場合は最寄りのバス停は「二条城」となります。市バスでも行けますし、急行も出ております。所要時間は道路の状態にもよりますが、順調なら約15分です。
まとめ
京都の有名観光スポットである二条城がどんなところなのか簡単な歴史や見どころなどを紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
ここが大政奉還が行われた場所というのは意外と有名ですが、家康が征夷大将軍に任命された場所というのはあまり知られていないかも知れません。
二の丸御殿などの歴史的な建造物はもちろん見どころなのですが、きれいに整備された庭園の四季を楽しむこともできます。季節は秋でしたが清流園では、紅葉の写真を撮っている人がたくさんいて、お城の観光よりも、こちらが目的で来ている人もけっこういるのではないかと思いました。
- 二条城の築城は1603年で、築上主は徳川家康。
- 家康が征夷大将軍に任命されて、大政奉還が行われた場所。
- 二条城の外周は約2キロ。
- 二条城の区画は3⃣度東にずれている。
- 古都京都の文化財を構成する要素の1つとして、1994年に世界遺産登録。
- 大政奉還が行われたのは二の丸御殿の大広間。
- 見学の所要時間は1時間から1時間半程度。
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