京都駅周辺をお散歩|本願寺・本能寺跡・二条城・京都御所

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東本願寺

とにかく観光スポットが多い京都ですが、京都駅から徒歩で行ける場所にもたくさん見どころがあります

駅のすぐ近くには本願寺がありますし、少し頑張れば、二条城や清水寺ぐらいは十分に歩いて行くことも可能です。距離的にはどちらも3キロ強といったところです。

京都駅の周辺をお散歩気分で散策してみました。時間に限りがありますが、

  • 東本願寺
  • 西本願寺
  • 本能寺跡
  • 二条城
  • 京都御所

この辺りが廻れたらなと、思います。

東本願寺

駅から比較的近い観光スポットといえば、本願寺です。本願寺には東本願寺と西本願寺がありますが、東のほうが京都駅からは若干近いです。

京都駅から東本願寺までの距離は約300mぐらいです。すぐに行けますし、特に拝観料もとられないので、手軽にいけるおすすめのスポットといえます。

京都のお寺などを拝観して廻っていると、1つ1つの拝観料は大きくなくとも、いつの間にか、財布が寂しくなっていたりするものです。

東本願寺の門東本願寺の門

東本願寺東本願寺 御影堂

写真の建物が御影堂で左にあるのが阿弥陀堂です。東本願寺の御影堂は、とにかく大きくて中も広いです。人の大きさと比較してみると、その広大さがわかると思います。中は豪華で鮮やかなのですが写真撮影は禁止となっていました。

ちなみに、この御影堂ではないですが、右どなりの建物には地下もあって、地下には展示室やシアターなどがあります。

それにしても、こんなに立派な建物を建てられる本願寺というのは、いったいどんな寺なのでしょうか。

本願寺と織田信長

本願寺というと、織田信長との戦い(石山合戦)が有名です。石山合戦は信長が石山から本願寺の施設の退去を迫ったことがきっかけとなりました。このとき本願寺は京都ではなく、大阪にありましが、大阪城のある辺りが元々は本願寺だった場所です。

この石山合戦は1570年から1580年まで、なんと10年間も続いております。追い詰められてきた本願寺は次の2派に分裂していきました。

  • 信長と講話を望む勢力
  • 信長に抵抗を続ける勢力

最後は降伏して信長に石山を明け渡しますが、本願寺の分裂は決定的となり、東と西に別れることとなりました。ちなみに東本願寺は最後まで信長に抵抗しようとした勢力側のお寺です。

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西本願寺

東本願寺から西本願寺は距離にすると300Mぐらい離れたところにあります。

東本願寺はとても豪華なイメージでしたが、こちらはかなり古い建物といった印象を持ちました。東と西で、このような差があるのは不思議ですが、どうしてなのかはわかりません。

東本願寺の中にブックセンターがあるのはちょっと驚きです。さすがに陳列している本は普通の本屋とはちょっと違って、仏教に関するものが多いなと感じました。

西本願寺西本願寺

西本願寺ブックセンター西本願寺のブックセンター

本能寺跡

本能寺跡本能寺跡

西本願寺から北に1.5キロ程度の場所に本能寺跡があります。

言わずと知れた信長の最後となった「本能寺の変」の本能寺です。信長の亡骸は結局発見されなかったそうですが、その後の歴史に信長が出てこないので、ここで最後を迎えたことは間違いないのでしょうね。

信長は本願寺や比叡山延暦寺など、仏教勢力とは非常に仲が悪い印象がありますが、宿泊にお寺を利用していたということは、必ずしもそうとは言えないみたいですね。仏教に対して憎悪をもっていたわけではなく、特定の宗派に対して敵対していたことがわかります。

ちなみに応仁の乱の頃、比叡山延暦寺と本願寺は敵対していて、本願寺は京都から追い出され、加賀(今の石川県南部)に逃れました。同じ仏教といっても、一筋縄ではなかったようですね。

現在、本能寺跡には大きな建物がたっております。以前は小学校だったそうですが、今はなんの建物なのかはちょっとわかりませんでした。

本能寺跡 建物

本能寺は1591年に豊臣秀吉の命により移転されました。この本能寺跡の北西1.5キロぐらいの場所に移転された本能寺が今でも残っております。

二条城

本能寺跡から北に1キロ弱行くと、有名な二条城があります。1603年に徳川家康が築城した城で、家康が征夷大将軍に任命された場所でもあります。

また、徳川慶喜が大政奉還を行ったのも二条城で、江戸幕府が始まりの場所であり、終わりの場所でもあります

二条城 二の丸御殿二条城の二の丸御殿

二の丸御殿の中はとても広く、部屋がたくさんあります。敷地には立派な庭園もあって、結構広いです。かなりゆっくりとしたペースでしたが、すべて廻るのに1時間半ぐらいかかりました。

二条城 場内地図二条城の案内図

京都御所

京都御所は1392年から1869年まで皇居となっており、歴代の天皇たちがここで儀式や公務を行っておりました。

中を拝観することもできるのですが、10月~2月は最終入場が15:20までで、この日は間に合いませんでした。

残念ですが京都御所の中の拝観は、また次の機会にしたいと思います。

それにしても塀で囲まれているとはいえ、堀などもなく防御力はお城よりも、かなり落ちるはずです。

信長が襲われた本能寺も、広さは倍以上違いますが塀で囲まれていて恐らくは京都御所に近い防御力はあったのではないかと考えられます。しかし、光秀の大群に為す術もなく、信長は命を落としてしまいました。

それを考えると、この建物では戦国時代の天皇の居場所としては手薄な感じを受けます。この御所にいる間、天皇が襲われることがなかったのは幸いですが、ちょっと不思議な感じもします。

  • 天皇が恨みを買うことは特になかった
  • 歴史に汚名を残すような行為はしたくなかった
  • 神格化していて襲うなんて言語道断だった

など、いろいろ考えられますが、家康が信長の死後に二条城を築城したのには、「守備不足の場所に宿泊する」といった信長の失敗に学んだというのもあったのではないでしょうか。

京都御所京都御所の門

尾張屋

京都らしいお土産がほしいと思って選んだ店が尾張屋です。

創業はなんと1465年、このときは菓子屋でした。今は菓子も扱っておりますが、どちらかというと蕎麦屋(そばや)みたいです。

1465年といえば、室町時代で応仁の乱(1467年)が始まる前です。応仁の乱で京都の店は大分被害を受けたようですが、この店は運良く残ったみたいですね。

京都 尾張屋尾張屋

おみやげにそば餅と蕎麦板(そばいた)のセットを買いました。

尾張屋のそば餅と蕎麦板(そばいた)そば餅と蕎麦板(そばいた)のセット

 

 

 

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