金閣寺といえば、京都でも屈指の観光スポットではないでしょうか。
修学旅行や個人的な旅行で、もう何回も金閣寺は来てますが、行くたびに庭園がパワーアップしているような気がします。
ちなみに金閣寺の正式名称は意外と知られていないようですが「 鹿苑寺 (ろくおんじ)」です。今回は金閣寺の簡単な歴史や見どころ、所要時間などについてお伝えしていこうと思います。
金閣寺の見どころは?
金閣寺の受付で拝観料を支払うと御札がもらえます。
この御札だけでも数百円の価値がありそうなのに、金閣寺は他のスポットと比較すると拝観料がリーズナブルな感じがします。大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソディ」の中でなぜかこの金閣寺のお札が登場して話題になっていましたね。
では、金閣寺の見どころについて紹介していきたいと思います。
鐘桜と紅葉
11月下旬の紅葉シーズンでしたので、金閣寺の紅葉を楽しむことができました。紅葉の中心に写っているのは「鐘桜」で、これは鎌倉時代に作られたものです。
さかさ金閣
鏡湖池(きょうこち)に映る金閣寺はさかさ金閣と呼ばれ、見どころのひとつです。
金閣寺は京都でも屈指の人気の観光スポットというだけあって、基本的に平日でもかなり混んでおります。拝観時間終了ギリギリの16時過ぎには、やや空き始めますが、紅葉シーズンや冬はその時間には日が沈みかかって暗くなってくるので注意が必要です。
このときは外国人の観光客が目立ち、このさかさ金閣の景色を見て、かなり喜んでいるようでした。
陸舟の松
陸舟の松(りくしゅうのまつ)は金閣寺の創建者である足利義満の盆栽を移植したと伝えられます。足利義満については下記でどんな人なのか紹介したいと思います。
厳下水
厳下水(がんかすい)は義満公のお茶の水として使用されていたと伝えられます。また、手を清めるのにも使用していたそうです。
子供の頃は厳下水のこの「お手洗いの水」立て札をみて、義満公の専用トイレかと思っておりました。でも、よく考えてみれば、お手洗いという用語がトイレを意味するのは不思議ですね。
龍門の滝・鯛魚石
こちらは「龍門の滝」と「鯛魚石(りぎょせき)」です。わかりにくいですが、滝にうたれている石が鯛魚石となります。
中国では鯛が滝を登って龍になるという伝承があります。滝を登りきる鯛は限られており、この話は「登竜門」の語源となっております。
義満のいた頃は滝の勢いはもっと強く、ここから鏡湖池に水が流れていたといいます。
白蛇の塚
この石塔は白蛇の塚(はくじゃのつか)といいます。
鎌倉時代に建てられたもので、義満が金閣寺を創建する前からあったものだといいます。元々はこの場所は藤原氏由来の公家である西園寺家が所有していました。
西園寺家は鎌倉時代に栄えましたが、倒幕されて後醍醐天皇による建武の新政が始めると、廃れていきました。
富士型手洗鉢
義満の孫であり、室町幕府「第8代将軍」の足利義政(あしかがよしまさ)が愛用した富士型手洗鉢(ふじがたちょうずばち)です。義政といえば銀閣寺を創建した人です。
銀閣寺については後ほど触れたいと思います。
夕佳亭
夕佳亭(せっかてい)は江戸時代に創建されたものです。
中には茶室がありますが、茶道家の金森宗和(かなもり そうわ)によって作られました。
夕佳亭の中はこのようになっております。
不動堂
不動堂(ふどうどう)は金閣寺の創建前からあった建物です。応仁の乱で消失しましたが、戦国時代に宇喜多秀家(うきた ひでいえ)によって再建されました。
境内売店・境外売店
拝観の終了間際には境内売店があります。お手頃な「抹茶焼き団子」が人気のようです。抹茶の苦そうなイメージがしますが、きちんと甘みがあります。
ちなみに境内の売店では金粉入りの日本酒が売っていました。値段も思ったよりは高くなかったので、おみやげに買っていったところ、家族が異様に喜んでいました。
境内の外にも売店があります。
外の売店には金閣寺らしい金粉ソフトがありました。少しそそりましたが、寒いので止めておきました。
金閣寺観光の所要時間は?
金閣寺は観光するのにどれぐらいの所要時間が必要なのでしょうか。
筆者は最寄りのバス停「金閣寺道」から一周りするのに、約45分ほどでした。途中、写真を撮りまくったりしていたので、かなりゆっくりとしたペースで廻っていました。
写真もそんなに撮らないで、普通に廻ったら30分もかからないのではないかと思います。
敷地内の売店で、ゆっくりと団子やアイスなどを食べている人もいます。ちょっと売店でお茶をしたいという方は、少し時間に余裕を持ったほうがよいかもしれません。
金閣寺の紅葉が見頃の時期は?
気候の状況によって多少変わることがありますが、基本的には次の時期が紅葉の見頃です。
ただし、紅葉が美しい時期の週末は非常に混むので注意が必要です。特に混むのが11月の連休となります。
金閣寺のライトアップ(夜間拝観)の時期は?
紅葉の時期になると京都の多くのお寺などでライトアップ(夜間拝観)が行われますが、金閣寺では基本的にライトアップは行われておりません。
金閣寺でも何回か夜間拝観が実施されたことはあるようですが、あまりにも混雑するので周辺住民にかなり迷惑がかかってしまったそうです。
今後、金閣寺のライトアップを見れる日は、いまのところは来そうもありません。
金閣寺ってどんなところ?
金閣寺はどんなところなのでしょうか。簡単な歴史などについて触れておきたいと思います。
金閣寺の創建者はだれ?
ところで金閣寺の創建者はだれなのかご存知でしょうか?
日本人なら歴史教育で習っているはずですが、忘れている方もいるかも知れませんね。というか、ここまで記事を読んできた人なら何回も登場しているはずです。
金閣寺を創建を命じたのは室町幕府第3代将軍の足利義満(あしかが よしみつ)で、建設された年は室町時代の1397年となります。創建当時は周りにも建築物があったそうですが、この場所は応仁の乱(1467年)で西軍の本陣となり、そのほとんどが焼失してしまいました。
応仁の乱は11年間に渡って京都を破壊し尽くした戦で将軍の後継者争いなどが原因でした。
金閣寺を建てた理由は?
では、どのような理由でこのような派手な建造物を作ったのでしょうか?
金閣寺が創建されたとき、義満はすでに将軍職を息子の義持(よしもち)に譲っており、形式上は隠居中の身でした。金閣寺は隠居生活を送るための別荘として使用されていたといいます。隠居といっても、実際は義満が政治の実権を握る院政でした。
この豪華過ぎる金ピカの別荘は、義満の権力を世間や皇室に見せつけていたとも言われておりますし、海外からの使者に日本の国力を知らしめていたとも考えられます。
義満は明との貿易で莫大な利益を手にしました。当時、明と貿易するためには明の皇帝に臣下の礼をとる必要がありましたが、義満はこれを受け入れて実を取りました。そのため、義満を「日本史上最悪の売国奴」と呼ぶ人もおります。
義満の息子の義持は、義満の取ってきた方針が気に入らなかったらしく、義満の死後は明との朝貢外交をやめてしまいました。
金閣寺は建築様式が階ごとに異なる?
金閣寺は3階建ての建物となっておりますが、その建築様式がそれぞれの階で異なっております。
- 1階は公家風の寝殿造(しんでんづくり)
- 2階は武家風の書院造(しょいんづくり)
- 3階は寺院で使われる禅宗様式(ぜんしゅうようしき)
足利義満は、禅宗の僧として出家していたので、3階は足利義満自身を表していると言われております。公家の上に武家がいて、さらのその上に義満がいるというメッセージが込められている感じがします。
ちなみに、金閣寺を創建する前に義満が政治を行っていた場所は「花の御所」で、金閣寺の西、京都御所のすぐ北にその御所はありました。今ではもう見る影もありませんが、天皇のいる京都御所よりも広い敷地だったといいます。
現在は、その跡地に石碑が建てられております。花の御所跡だとはわかりにくいのですが、これがその石碑のようです。花の御所のことを知らないで、この碑を見たら、なんだかよくわからなくて見過ごしてしまいそうですね。
金閣寺焼失事件とは?
金閣寺がわりと近年に焼失しているのをご存知でしょうか?
それは1950年7月2日の未明のことでした。消防隊が駆けつけたときは時すでに遅しだったといいます。
残念なことに、このとき国宝であった足利義満の木造などの文化財もいくつか焼失してしまいました。
出火の原因は信じられないことに放火でした。金閣寺焼失事件の犯人は21歳の男で
- 「世間を騒がせたかった」
- 「社会への復讐のため」
などと供述しております。金閣寺が再建されたのは、それから5年後でした。焼失当時の写真が残っております。再建ということで金閣寺は国宝から外れてしまい、非常に残念な事件でした。
金閣寺と銀閣寺
金閣寺とよく比較されるのが銀閣寺です。
銀閣寺は室町幕府の第8代将軍である足利義政(あしかが よしまさ)が創建した寺で慈照寺(じしょうじ)ともいいます。
金閣寺が京都北部のやや西側にあるのに対して、銀閣寺は北部の東側にあります。この2つの寺は距離的には約7キロ離れております。
金閣寺が一度焼失しているのに対し、銀閣寺は一度も焼失することなく無事に残っております。
また、金閣寺はその名の通り金ピカの建物ですが、銀閣寺は銀ピカの建物というわけではありません。銀閣寺の創建時の色は不明ですが、塗料として黒い漆(うるし)が使われていたことから、黒い建物であったことが予想されます。
一説には、当初は銀箔を貼る予定があったそうですが財政難で貼れなかったとも言われております。金閣寺の創建者の足利義満の時代は明との貿易で幕府は潤ってましたが、義政の時代は財政難に悩まされておりました。
しかし、なぜか義政の妻の日野富子(ひの とみこ)は財政難に苦しんでいる夫を尻目に莫大な富を築きました。そのため、日本三大悪女の一人とも評されることがあります。他の二人は源頼朝の妻である「北条政子」と豊臣秀吉の側室である「淀殿」です。
ただ、ある歴史番組で日野富子聖女説を唱えていたことがありました。内容はあまり覚えていませんが、確か人々を救うためにお金を溜め込んでいたとか言っていました。
金閣寺へのアクセス方法は?
最後に金閣寺へのアクセス方法について簡単に触れておきます。
金閣寺の最寄り駅は嵐電「北野白梅町駅」となります。この駅は嵐山からは行きやすいですが、JR京都駅方面から行くとちょっと複雑です。JR京都駅からは市バス(バス停「金閣寺道」)を利用したほうが便利です。
他にも徒歩で金閣寺に行ける駅はありますが、少し距離はあります。
- 嵐電「北野白梅町駅」から徒歩約19分
- 京都市営地下鉄「鞍馬口駅」から徒歩約32分
- 京都市営地下鉄「北大路駅」から徒歩約34分
ちなみに、このとき筆者は北野白梅町駅から歩いていきましたが、それなりは距離があるといった感じがしました。大通り沿いをひたすら進んでいくと、案内があるので、わかりにくくて迷うということはあまりない気がします。
まとめ
金閣寺の見どころや拝観の所要時間、簡単な歴史などについてお伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
いつ何度来てもよかったと思える観光スポットですが、紅葉シーズンに来たのは今回が初めてで、ちょっと違った雰囲気を味わうことができました。
紅葉シーズンとなると、京都のいろいろなお寺でライトアップが開催されます。金閣寺もライトアップを実施したこともあるですが、見に行けなかったのがとても残念です。
もし、夜間拝観をすれば清水寺や高台寺のように屈指の人気スポットになるのは間違いないでしょうが、周辺が人混みになることは避けられないでしょう。金閣寺は駅から離れた場所にあるので、周辺には住宅地などもあり、これは仕方のないですね。
- 金閣寺の創建年は1397年。
- 創建者は室町幕府第3代将軍の足利義満。
- 建設の理由は義満が隠居生活を送るため。
- 金閣寺の建築様式は各階で異なる。
- 1950年に放火により消失し、国宝から外れてしまった。
- 紅葉の見頃は11月中旬から12月上旬。
- 観光の所要時間は見るだけなら30分程度。
- 夜間のライトアップは現在行われていない。
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