金閣寺の見どころと所要時間は?紅葉や夜間拝観の時期はいつ?

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金閣寺

金閣寺といえば、京都でも屈指の観光スポットです。修学旅行や個人的な旅行で、もう何回も金閣寺は来てますが、行くたびに、庭園がパワーアップしているような気がします。

ちなみに金閣寺の正式名称は意外と知られていないようですが「 鹿苑寺 (ろくおんじ)」です。今回は金閣寺について見ていきたいと思います。

金閣寺の見どころは?

金閣寺の受付で拝観料を支払うと御札がもらえます。

この御札だけでも数百円の価値がありそうなのに、金閣寺は他のスポットと比較すると拝観料がリーズナブルな感じがします。

大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソディ」の中でなぜかこの金閣寺のお札が登場して話題になっておりますね。

では、金閣寺の見どころについて紹介していきたいと思います。

金閣寺の御札

さかさ金閣

鏡湖池(きょうこち)に映る金閣寺はさかさ金閣と呼ばれます。

京都でも屈指の人気のスポットだけあって、基本的に平日でもかなり混んでおります。拝観時間ギリギリの16時過ぎには、やや空き始めますが、冬はその時間には暗くなってくるので注意が必要です。

さかさ金閣

陸舟の松

陸舟の松(りくしゅうのまつ)は足利義満の盆栽を移植したと伝えられます。足利義満については下記でどんな人なのか紹介したいと思います。

陸舟の松

厳下水

厳下水(がんかすい)は義満公のお茶の水として使用されていたと伝えられます。また、手を清めるのにも使用していたそうです。

厳下水

子供の頃はこの立て札をみて、義満公の専用トイレかと思っておりました。

厳下水

富士型手洗鉢

第8代将軍の足利義政が愛用した富士型手洗鉢です。義政といえば銀閣寺を創建した人ですが、金閣寺にも住んでいたことがあったのでしょうか?

富士型手洗鉢

富士型手洗鉢の立て札

夕佳亭

夕佳亭(せっかてい)は江戸時代に創建されたものです。

中には茶室がありますが、茶道家の金森宗和(かなもり そうわ)によって作られました。

夕佳亭

夕佳亭の中

不動堂

不動堂(ふどうどう)は金閣寺の創建前からあった建物です。応仁の乱で消失しましたが、戦国時代に宇喜多秀家(うきた ひでいえ)によって再建されました。

不動堂

金閣寺観光の所要時間は?

金閣寺は観光するのにどれぐらいの所要時間が必要なのでしょうか。

筆者は最寄りのバス停「金閣寺道」から一周りするのに、約45分ほどでした。途中、写真を撮りまくったりしていたので、かなりゆっくりとしたペースで廻っていました。

写真もそんなに撮らないで、普通に廻ったら30分もかからないのではないかと思います。

敷地内には売店があって、そこでゆっくりアイスなどを食べている人もいます。ちょっと売店でお茶をしたいという方は、少し時間に余裕を持ったほうがよいかもしれません。

金閣寺の境内図

金閣寺の紅葉が見どころの時期は?

気候の状況によって多少変わることがありますが、基本的には次の時期が紅葉の見どころです。

紅葉の見頃時期:11月中旬~12月上旬

ただし、紅葉が美しいこの時期の週末は非常に混むので注意が必要です。特に混むのが11月の連休となります。

金閣寺の紅葉

金閣寺のライトアップ(夜間拝観)の時期は?

紅葉の時期になると京都の多くのお寺などでライトアップ(夜間拝観)が行われますが、金閣寺では基本的にライトアップは行われておりません

何回か実施されたことはあるようですが、あまりにも混雑するので周辺住民にかなり迷惑がかかってしまったそうです。

金閣寺のライトアップを見れる日は、いまのところ来そうにもありません。

金閣寺の創建者(建設者)は誰?作った理由は?

金閣寺の創建者はだれなのかご存知でしょうか?

日本人なら歴史教育で習っているはずですが、忘れている方もいるかも知れませんね。

金閣寺を創建を命じたのは室町幕府第3代将軍の足利義満(あしかが よしみつ)で、建設された年は1397年となります。創建当時は周りにも建築物があったそうですが、この場所は応仁の乱(1467年)で西軍の本陣となり、そのほとんどが焼失してしまいました。

応仁の乱は11年間に渡って京都を破壊し尽くした戦で将軍の後継者争いなどが原因でした。

足利義満

出典:Wikipedia

では、どのような目的でこのような派手な建造物を作ったのでしょうか?

金閣寺が創建されたとき、義満はすでに将軍職を息子の義持(よしもち)に譲っており、形式上は隠居中の身でした。金閣寺は隠居生活の別荘として使用されていたといいます。隠居といっても、実際は義満が政治の実権を握る院政でした。

この豪華過ぎる金ピカの別荘は、義満の権力を世間や皇室に見せつけていたとも言われておりますし、海外からの使者に日本の国力を知らしめていたとも考えられます。

義満は明との貿易で莫大な利益を手にしました。当時、明と貿易するためには明の皇帝に臣下の礼をとる必要がありましたが、義満はこれを受け入れて実を取りました。そのため、義満を史上最悪の売国奴と呼ぶ人もおります。

義満の息子の義持は、義満の取ってきた方針が気に入らなかったらしく、義満の死後は明との朝貢外交をやめてしまいました。

金閣寺はそれぞれの階で違う建築様式?

金閣寺は3階建ての建物となっておりますが、その建築様式がそれぞれの階で異なっております

  • 1階は公家風の寝殿造(しんでんづくり)
  • 2階は武家風の書院造(しょいんづくり)
  • 3階は寺院で使われる禅宗様式(ぜんしゅうようしき)

足利義満は、禅宗の僧として出家していたので、3階は足利義満自身を表していると言われております。公家の上に武家がいて、さらのその上に義満がいるというメッセージが込められている感じがします。

ちなみに、金閣寺を創建する前に義満が政治を行っていた場所は「花の御所」で、金閣寺の西、京都御所のすぐ北にその御所はありました。天皇のいる京都御所よりも広い敷地だったといいます。

現在は、花の御所は残っておりませんが、その跡地に石碑が建てられております。花の御所跡だとはわかりにくいのですが、これがその石碑のようです。花の御所のことを知らないで、この碑を見たら、なんだかよくわからなくて見過ごしてしまいそうですね。

花の御所跡

金閣寺焼失事件とは?

金閣寺がわりと近年に焼失しているのをご存知でしょうか?

それは1950年7月2日の未明のことでした。消防隊が駆けつけたときは時すでに遅しだったといいます。

残念なことに国宝であった足利義満の木造などの文化財もいくつか焼失してしまいました。

出火の原因は信じられないことに放火でした。犯人は21歳の男で

  • 「世間を騒がせたかった」
  • 「社会への復讐のため」

などと供述しております。金閣寺が再建されたのは、それから5年後でした。焼失当時の写真が残っております。

金閣寺焼失事件

出典:Wikipedia

金閣寺と銀閣寺

室町幕府の第8代将軍である足利義政(あしかが よしまさ)が創建した慈照寺(じしょうじ)は銀閣寺とも呼ばれます。

金閣寺が京都北部のやや西側にあるのに対して、銀閣寺は北部の東側にあります。この2つの寺は距離的には約7キロ離れております。

金閣寺が一度焼失しているのに対し、銀閣寺は一度も焼失することなく無事に残っております

また、金閣寺はその名の通り金ピカの建物ですが、銀閣寺は銀ピカの建物というわけではありません。銀閣寺の創建時の色は不明ですが、塗料として黒い漆(うるし)が使われていたことから、黒い建物であったことが予想されます。

一説には、当初は銀箔を貼る予定があったそうですが財政難で貼れなかったとも言われております。金閣寺の創建者の足利義満の時代は明との貿易で幕府は潤ってましたが、義政の時代は財政難に悩まされておりました。

しかし、なぜか義政の妻の日野富子(ひの とみこ)は財政難に苦しんでいる夫を尻目に莫大な富を築きました。そのため、日本三大悪女の一人とも評されることがあります。他の二人は源頼朝の妻である「北条政子」と豊臣秀吉の側室である「淀殿」です。

ただ、ある歴史番組で日野富子聖女説を唱えていたことがありました。内容はあまり覚えていませんが、確か人々を救うためにお金を溜め込んでいたとか言っていました。

銀閣寺

金閣寺へのアクセス方法は?

金閣寺の最寄り駅は嵐電「北野白梅町駅」となります。嵐山からは行きやすいですが、JR京都駅方面から行くとちょっと複雑です。JR京都駅からは市バス(バス停「金閣寺道」)を利用したほうが便利です。

他にも徒歩で金閣寺に行ける駅はありますが、少し距離はあります。

  • 嵐電「北野白梅町駅」から徒歩約19分
  • 京都市営地下鉄「鞍馬口駅」から徒歩約32分
  • 京都市営地下鉄「北大路駅」から徒歩約34分
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