平城京とは奈良時代の都です。
平城京跡は現在、着々と整備が進められておりますが、2018年に「朱雀門ひろば」が開園しました。その朱雀門ひろばを中心に観光してみましたが思いのほか敷地が広く、いつの間にか辺りは真っ暗になってしまいました。
とにかく広い平城京跡の見どころなどについてレポートしたいと思います。
平城京ってどんなところ?
平城京はどんなところなのでしょうか。その歴史などを簡単に解説していきたいと思います。
平城京への遷都はいつ?
平城京へ遷都されたのは西暦710年で、唐の都である長安がモデルになりました。
元明天皇(げんめいてんのう)によって、奈良県橿原市にあった藤原京から遷都されました。その後、784年に桓武天皇が長岡京に遷都するまで、この都は使用されました。元明天皇は日本史では珍しい女性天皇です。
「なんと(710)みごとな平城京」
などと語呂合わせで年号を覚えた方も多いのではないでしょうか。正確には聖武天皇の時代に次々と都が移されますが、結局は平城京に戻ってきます。
日本の都として最も有名なのは平安京ですが、それは長岡京の次の都です。平城京から長岡京に遷都したのは桓武天皇ですが、この長岡京は洪水などのトラブルで、わずか10年ほどで廃都になりました。
その後、平安京に遷都したのも桓武天皇で、西暦794年のことでした。京都は1869年まで都として使用され、「1000年」の都などと呼ばれたりしますね。
平城京の大きさは?
平城京の大きさは平城京は南北4・8キロ、東西4・3キロでした。その他に東側に外京と呼ばれるものがありました。外京は東大寺に接し、興福寺が中に含まれておりました。総面積にすると約2500ヘクタールで、これは東京ドーム500個分以上の大きさとなります。
平城京の復元図については、こちらの記事が参考になります。
天皇の住まいはどこ?
復元されてる朱雀門というのは、平城京ではなく、平城宮の門となります。平城京の門は羅生門であり、現在は存在しておらず、跡地に石碑が建っています。
平城宮の中には、天皇が儀式を行っていた大黒殿、天皇の住まいである内裏などがありました。ちなみに大黒殿は復元されており、後ほど紹介したいと思います。
平城京の中央の道路である朱雀大路の左側が左京、右側が右京と呼ばれていました。簡単に見取り図にすると次のような感じになります。
ちなみに外京の右端に興福寺があり、外京の右上に隣接して東大寺があります。
平城京跡の見どころは?
それではさっそく平城京跡の見どころについて解説していきたいと思います。
朱雀門ひろば
平城京跡のアクセス方法はJR奈良駅からバスに乗って、バス停「朱雀門ひろば前」で降ります。バス停のすぐ眼の前に「朱雀門ひろば」があります。
奈良といれば東大寺などは外国人客が多いと感じましたが、ここは外国人の知名度が低いのか、ひとりも見なかったような気がします。平城宮跡は東大寺などと古都奈良の文化財として世界遺産登録されているので、もう少し多くてもよい感じがします。
朱雀門は見た感じは新しい建物ですが、1998年に復元されたものです。かつては朱雀門まで平城京を貫くメインストリート(朱雀大路)が広がっており、その道幅は74mだったといいます。道の両脇には柳の木が植えられていました。
当時の様子のイメージ図はコチラになります。現在はメインストリート(朱雀大路)の脇には資料館やお土産屋などが立ち並んでおります。
朱雀大路の脇にある施設については後ほど紹介したいと思います。この写真をみれば、朱雀大路の広大さがわかるでしょう。
朱雀門をアップするとこんな感じです。
朱雀門をくぐると、このような景色が広がっております。少し先に線路があって、その先に工事中の建物があります。
この線路は近鉄奈良線のものとなります。線路の先にある工事中の建物についてはよくわかりませんが、平城京に関する建物だと思われます。
事前の調査では、朱雀門の先にもう一つ観光できる建物があったはずなのですが、
「もしかしたら工事中の建物がそれで、今は入ることはできないのでは?」
と頭によぎって、がっかりしてしまいました。その姿を見ていたのか、平城京跡の係員らしき人が、声をかけてきました。
「あの工事中の建物の先に大極殿(だいこくでん)がありますよ。よかったら、行ってみてください。」
それを聞いて少しほっとしましたが、ずいぶん遠いなと思いました。建設中の建物までも見た感じは1キロ程度ありそうな気がします。その人によると大極殿までは歩いて10分程度ということでした。
徒歩10分ということは、距離にすると800m程度でしょうか。1キロはないにしても、やはりかなりの距離があります。朱雀門の先は平城京の一部である平城宮なのですが、改めて平城京の広大さを知ることになりました。
この先に大極殿があることは知らない人にはわかりにくいと思いますが、よく見ると、朱雀門の先に大極殿への行き方の「お知らせ」がありました。
この先に踏切がありますが開門時間は「8:00~17:00」とあります。あまり早く来すぎても、こちら側からは大極殿まで行けないし、17:00以降に来ても行けません。
もっとも、まもなく冬が訪れるこの時期は17:00といえば、かなり暗くなるので観光するには適しません。時期によっては、この時間は変わる可能性があります。
平城京跡の大極殿
朱雀門から近鉄奈良線の線路を超えて進んでいくと、建設中の建物の後ろに大極殿(だいこくでん)が見えてきました。
朱雀門ひろばから大極殿を見て戻ってくるまでに1時間ほどかかりましたが、そうなるとトイレが心配になるかも知れません。
でも、ご安心ください。朱雀門から大極殿までの間にトイレがありますし、大極殿に右のほうにも、ひとつありました。
こちらが平城京跡の大極殿です。
中央に高御座(たかみくら)を設けて天皇の御座とし、即位などの行事が行われていました。平城京には遷都の際に最初に作られた第一次大黒殿と少し離れた場所に後で作られた第二次大黒殿がありますが、こちらは「第一次」のほうとなります。
この建物も新しい感じがしますが、2010年に復元されたそうです。第二次大黒殿は、この少し右側にあり、天皇の住まいである内裏に接していました。
大極殿といえば、日本書紀によれば645年に大極殿で中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が蘇我入鹿(そがのいるか)を切りつけたとありますが、そこに出てくる大極殿は平城京に遷都される前の藤原京のものであって、平城京の大極殿ではありません。
大極殿の中は資料館になっており、入り口は向かって左側にあります。
大極殿の中には天皇の御座である高御座(たかみくら)も再現されております。
大黒殿の中にあった絵画ですが、天皇は高御座から、このような景色を見ていたのでしょね。中央の先にある門が朱雀門だと思われます。
平城京は現在復元中ですが、今後どうなっていくのか楽しみです。
平城宮いざない館
朱雀門広場には、いくつかの施設があります。そのいくつかの見どころなどについて紹介したいと思います。
「平城宮いざない館」は平城京に関する資料館となっていますが、中はびっくりするほど広いです。全部は紹介しきれないですが、気になったものをいくつか紹介します。
建物の前には銅像があります。「棚田嘉十郎(たなだ かじゅうろう)」の像ということですが、いったいどんな人なのでしょうか。
説明書きを見ると、どうやら明治時代に平城京の保存活動をした人のようです。もしこの人がいなかったら、平城京跡は住宅街とかになっていて、復活は難しかったかも知れませんね。
平城京の下級役人は現在に換算すると「年収360万円」だったそうです。公務員の年収がどれぐらいなのか正確にはわかりませんが、今とそれほど変わらないのではないでしょうか。
上級役人になると、「年収4,120万円」となります。現在の官僚のトップである事務次官で「2,300 ~ 3,000万円」といわれております。それよりも、かなり多くもらっていますね。
最上級である紫色の役人だと、なんと「年収3億7,460万円」です。今でいうと事務次官のクラスでしょうが、一流のスポーツ選手や売れている芸能人並で、びっくりするぐらい高額収入ですね。
奈良時代や平安時代は、一見、貴族の華やかな文化が思い浮かびますが、今では考えられないほどの格差社会でした。平安時代も農民は竪穴式住居に住んでいたと聞いたことがあります。
こちらは奈良時代の「庶民の食事」を再現したものです。玄米ご飯と汁、あとは塩です。塩はご飯にでもかけたのでしょうか。
米は栄養価の高い玄米ですし、汁に野菜が入っていれば、なんとか栄養的には問題ないのかもしれませんが、現代の庶民と比べてかなり質素ですね。
1日2食だったそうですが、毎日この食事をしていたら、現代人なら気が狂いそうです。
こちらは奈良時代の「貴族の食事」を復元したものです。鴨肉にアワビ、エビなどかなり豪華です。現代人もこんな贅沢なものが頻繁に食べれる人は、そうはいないのはないでしょうか。
庶民は税を払うのに都まで自分で行って収めていたといいます。関東など都から遠い地域の人たちには、溜まったものではないですね。
しかも、この時代の庶民の住居は縄文時代などからあった竪穴式住居だったといいます。
もっとも、この食事を貴族たちが毎日とっていたのかどうかは疑問が残ります。現代でも政治家が料亭などにいけば、豪華な食事をしていると思いますが、そういったたぐいのものかもしれません。
毎日豪華なものを食べていれば、飽きが来るでしょうし、自宅ではもっと手軽な食事をしていたのではないかと個人的には思います。
こちらは平城京の役人が使用していたベルトです。今のものと大差がないので、ちょっと驚きました。
平城宮いざない館の中には図書コーナーがあります。本の数はそれほどありませんが、これからもっと増えるかも知れませんね。
天平みはらし館
朱雀門広場にある私設のひとつ「天平みはらし館」について紹介したいと思います。
筆者は利用しませんでしたが、ここではレンタルサイクルを借りることができます。サイクリングをすると汗をかいて、バスで電車で帰るのに困るかも知れません。
ですが、天平みはらし館にはシャワー室(有料)が用意されております。もっとも電動アシスト自転車もたくさんあるので、それを利用すれば汗はそれほどかかないかも知れません。
天平みはらし館の中にはシアタールームがあります。
ここには行ってみましたが、スクリーンが思いの外大きくて、大迫力でした。バーチャルリアリティーを駆使した映像で左右にもスクリーンがあり、初めは違和感があって、ちょっと気分が悪くなりました。
映像は次の3本が上映されていました。時間はそれぞれ10分~20分程度です。
- 平城京 はじまりの都
- 平城京 安らけし都
- 三笠の山にいでし月かも
平城京 はじまりの都
「平城京 はじまりの都」はバーチャルリアリティーを駆使して当時の平城京の様子を再現したもので、これが一番見ごたえがあったと思います。
まるで自分が当時の平城京の中にいるかのような感覚になりますが、慣れないバーチャルリアリティーの映像に乗り物酔いをするような感覚を覚えました。
時間があまりない方は、とりあえずこれだけを見ることをおすすめします。
平城京 安らけし都
「平城京 安らけし都」は奈良の大仏で有名な聖武天皇(しょうむてんのう)の皇女である阿倍内親王(あべないしんのう)が主役のコンピュータグラフィック・アニメーションです。
阿倍内親王といえばのちの孝謙天皇(こうけんてんのう)ですが、この人は病気を直してくれた道鏡(どうきょう)という僧を寵愛して、数々の権力を与えてしまったいわくつきの天皇です。道鏡はその後、皇位につこうとしたりしましたが、失敗に終わりました。
このアニメでは阿倍内親王は、かなり美化されて描かれていましたが、孝謙天皇のことを知っていたので、そのギャップがちょっと面白かったです。
三笠の山にいでし月かも
「三笠の山にいでし月かも」は、唐に渡って非常に難しい国家試験の科挙(かきょ)に合格して、唐の官僚として活躍した阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)のドラマです。
天平みつき館
天平みつき館では、おみやげなどが売っております。
おみやげは次のようなものを優先して買うことにしております。
- 地元の賞を受賞しているもの
- その観光地らしいもの
- モンドセレクションなどを受賞しているもの
このような基準で、とりあえず見つけたのが、名誉総裁賞受賞の「奈良 やま柿」です。
なにか平城京らしいものが、ほしいと思って見つけたのが「平城京 抹茶くず餅」です。小さいのが6個ぐらい入っているのかなと思いましたが、大きいのが2つ入っていて、分けるのに苦労しました。
天平うまし館
天平うまし館にはレストランやカフェがあります。
帰りのバスの時間まで少しあったので、カフェで休んでいくことにしました。外は寒いですが、大和茶ソフトクリームが食べたくなりました。
不思議な形をしたクッキーが添えられていますが、シャチホコのような感じでした。大極殿の上に乗っているやつかも知れませんね。
遣唐使船・ライトアップ
朱雀門ひろばには遣唐使船を再現したものが、飾られておりますが、夜間にはライトアップのされます。
ライトアップ前の写真を撮りそこねたのがちょっと心残りです。
しばらく眺めていたら、色が変わりました。
朱雀門も夜になるとライトアップされます。
平城京跡へのアクセス
平城京跡の最寄り駅は近鉄線の「大和西大寺駅」となります。そこから徒歩で10分程度の道のりです。
また、JR奈良駅からバスで行くことも可能です。西口から出ている「ぐるっとバス」や「路線バス」に乗って停留所は
- 「二条大呂南四丁目」
- 「平城京跡」
- 「朱雀門ひろば前」
のいずれかとなります。朱雀門に一番近いのはバス停「朱雀門ひろば前」ですが、1時間に1本程度の間隔となります。また「ぐるっとバス」は土日祝日などに運行されておりますが、運賃100円とリーズナブルな価格で乗ることができます。
平城京跡へのアクセスの詳細につきましては、次のページをご確認ください。ちなみに、このページにはバス停「朱雀門ひろば前」から行く方法は書かれていません。
こちらはJR奈良駅東口の写真です。東大寺などに行くにはコチラ側からになりますが、平城京跡に行くには西口のほうへ行く必要があります。
まとめ
平城京跡観光の見どころなどについて紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
長年に渡って放置されてきた平城京跡ですが、近年になって観光地としていろいろと復元されているのはとてもうれしいことです。
平城京跡はとにかく敷地が広く、紹介してきたように施設もたくさんあります。すべて観光して、サイクリングなんかもしたら、ここだけで一日中楽しめるぐらいです。
今回は、お昼過ぎに到着して時間は十分にあったのですが、それでも帰る頃には真っ暗になってしまいました。まあ、そのため予定していなかった朱雀門のライトアップなどが見れたので、それはそれでよかったと思います。
東大寺などは、やたらと観光客であふれていましたが、こちらはまだまだ知名度が低いらしく、比較的穴場な観光スポットといえるでしょう。
- 平城京へ遷都されたのは西暦710年。
- 元明天皇によって藤原京から遷都。
- 当時の広さは南北4・8キロ、東西4・3キロプラス外京。
- 総面積は約2500ヘクタールで、東京ドーム500個分以上。
- 平城宮跡は古都奈良の文化財として世界遺産登録。
- 平城京に大黒殿は第一次と第二次の2つある。
- 復元されているのは第一次大黒殿。
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