奈良県桜井市にある箸墓古墳は、最古の部類に入る巨大古墳であり、考古学者などに注目されております。
この古墳の被葬者は中国の魏志倭人伝に登場する邪馬台国の女王、卑弥呼ではないのかという説もあります。一応、被葬者がだれなのかは日本書紀に記載されており、それは女性ですが、後ほど解説したいと思います。
また、箸墓古墳は注目されているのに、謎のベールに包まれている部分もあります。発掘調査は進んでいるのか、盗掘などにはあっていないのかなどについても解説し、見どころを紹介していきたいと思います。
箸墓古墳ってどんなところ?
箸墓古墳がどんなところなのか、まずは説明しておきましょう。この古墳が作られたのは3世紀の後半と言われており、日本でも最古の部類の前方後円墳となります。
箸墓古墳の大きさは全長で約280メートルあり、これはかなり巨大な古墳の部類に入ります。ちなみに日本で最大の古墳は仁徳天皇陵(大仙陵古墳)で、全長は約486メートルあります。
全長300メートルを超える古墳は今のところ、見つかっているのは10個足らずで、このことからも280メートルある箸墓古墳がかなり巨大な古墳であることがわかると思います。
箸墓古墳は世界遺産登録されている?
仁徳天皇陵を含む「百舌鳥・古市古墳群」は2019年に世界文化遺産に登録されましたが、箸墓古墳のほうは今のところは世界遺産登録はされておりません。ただ、巻向周辺には多くの古墳群があるので、将来的には巻向古墳群といった感じで世界遺産に登録される可能性はあると思います。
箸墓古墳の被葬者はだれ?
箸墓古墳の被葬者ですが、正確にはだれなのかわかっておりません。
宮内庁によると埋葬者は倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)という皇女とされております。百襲姫のお墓という根拠となるのは日本書紀の記述です。
日本書紀によるとこの人は、第7代の孝霊天皇皇女とされております。ただし、第10代の崇神天皇から前は考古学的には実在が危ぶまれており、歴史的事実として認定できるほどの信憑性はありません。
百襲姫は三輪山に住む神である大物主(おおものぬし)の妻だったとされておりますが、彼女は蛇の姿である夫を見て驚きのあまり叫んでしまったため、大物主の怒りをかってしまいます。
落胆した百襲姫は腰を落としたときに箸に刺さって命を落としてしまいますが、このエピソードは箸墓古墳の名前の由来になっております。
ちなみに日本書紀と並ぶ古代の資料として古事記がありますが、古事記のほうでは百襲姫は夜麻登登母母曽毘売(やまととももそびめ)と表記されております。
ここで、ひとつ疑問がわきます。箸墓古墳はつくられた当時は最大級の大きさ、というか最大の古墳だったに違いありません。埋葬者と言われている倭迹迹日百襲姫は皇女であるといっても、天皇ではありません。
はたして歴代の国の最高権力者を差し置いて、皇女に対して過去最大の墓を作るということがあり得るのでしょうか?
そう考えると、この箸墓古墳の埋葬者はやはり当時の最高権力者で、しかもかなりの大きな功績のあった人ではないかと推測されます。
箸墓古墳は卑弥呼の墓?
この箸墓古墳の被葬者ですが、魏志倭人伝に登場する卑弥呼ではないかという説があります。理由としては墓が作られた時期と卑弥呼が死亡したとされる時期が近いというのと、この巻向周辺は邪馬台国の候補地として有力だからです。
纒向遺跡の中心から、3世紀前半のものと思われる建物跡が出てきて、これは当時としては最大級の大きさのものであり、「卑弥呼の宮殿なのでは?」 とも言われております。
卑弥呼は239年に親魏倭王の称号が与えられ、247年には狗奴国と戦っていたと記録されていますが、その後に亡くなって大きな墓が作られたとされています。
ただし、魏志倭人伝から推定される卑弥呼の没日は250年頃であり、箸墓古墳の作られたとされる時期(3世紀後半)とは少しズレがあります。魏志倭人伝によると卑弥呼の後は壹與(いよ)という少女が王になったとされていますが、どちらかというと壹與のほうが時期は当てはまります。
もっとも、国立歴史民俗博物館の研究チームが2009年に炭素年代測定で調査したところ、築造年代は240~260年という結果が出ております。こちらの結果だと、まさに卑弥呼の年代に当てはまります。
箸墓古墳の発掘調査が初めて許可?
宮内庁は2013年に日本考古学協会など国内の15学協会に対し、箸墓古墳への立ち入り調査を許可したと発表しました。宮内庁が研究者側からの要望に応じて古墳への立ち入りを認めるのはこれが初めてだといいます。
宮内庁は古墳などの調査にこれまで何色を示していたが、その理由は次のように述べています。
「陵墓は皇室の祖先のお墓です。今も祭祀が行われています。静安と尊厳を保つのが本義です」
この立ち入り調査を許可を受けて直ちに箸墓古墳の調査が始まりましたが、これによって古墳研究の進展が期待できます。ただし、これは今まで立入禁止だった部分に入って目視などによる調査できるようになったということであり、発掘の許可が下りたというわけではありません。
そういったわけで、箸墓古墳が発掘調査される日が来るのは、今のところは難しそうです。
ちなみに箸墓古墳の周壕からは馬具(木製の輪鐙)が出土しております。これまで日本で馬に乗る風習ができたのは4世紀末頃からと言われていたので、3世紀末にできたとされる箸墓古墳から馬具が出土したことは物議を呼んでおります。
箸墓古墳は盗掘されている?
古墳と言えばその多くが盗掘にあっております。古墳には歴史的価値が高く、高価なものも埋もれていることがあるので盗掘者にとっては、まさに宝の山といったところなのでしょう。ただし、2021年の産経新聞の記事によると、この箸墓古墳については、
上空からのレーザー測量では、樹木に覆われて見えない墳丘の姿が明らかになり、石室のある後円部が築造時のままで未盗掘の可能性が高まった。(産経新聞)
とあります。石室を調査すれば、当然、遺体の一部が出てくる可能性があって、被葬者が男性なのか女性なのかがわかります。仮に女性が埋葬されていたとなれば、「卑弥呼か?」ということで大騒ぎになることでしょう。
また、銅鏡などの貴重なものが石室に入っている可能性もあります。仮に埋葬者が卑弥呼なら、魏国から授かったと言われる「金印」が埋まっているなんてことも考えられますね。未盗掘の可能性が高いということは、期待が膨らみます。
こちらはご参考までに卑弥呼よりも前の時代に奴国王が漢の国から授かったされる金印のレプリカです。奴国というのは現在の博多辺りにあった国と言われております。
箸墓古墳の見どころは?
それでは、箸墓古墳の見どころについて紹介していきたいと思います。
なにか入場料みたいなものが取られるのではないかと心配する方もいるようですが、箸墓古墳の見物は無料でできます。
こちらがその箸墓古墳ですが、最初は遠くからみると、ただの小山あるようで古墳には見えませんでした。
箸墓古墳に近づいて、反時計回りに一周してみました。この辺りでようやく、古墳の円の部分だとわかります。
「ひみこの庭?」
中には箸墓古墳を眺めながらコーヒーが飲めるカフェや庭園があります。この辺には公衆トイレがないので、トイレ目的でカフェに入りました。
ひみこの庭から撮った箸墓古墳です。池とマッチングしていて、なかなかの眺めです。
ちなみにこの池はテレビ東京の番組「池の水ぜんぶ抜く」の2018年の正月特番として、水を抜くロケが予定されていましたが、地元などの反対により中止となりました。
なかなかスポットが見つからなかったのですが、ここに来てやっと古墳の全体が写真に入りました。
なにやら門があって、墓の奥へと行けそうな道がありますが、もちろん立入禁止です。
いかにも天皇陵といった鳥居と宮内庁の注意書きがありました。
鳥居の前で、おばさんがお経を唱えていました。
でも普通の仏教のお経と違って、「天照(あまてらす)」とか「天津神(あまつかみ)」「国津神(くにつかみ」とか聞こえてきます。
初めて知ったのですが、神道にもお経のようなものがあって祝詞(のりと)と呼ばれているそうです。おばさんが唱えていたのは、恐らくは祝詞だったのでないかと思います。
箸墓古墳周辺の観光スポットは?
箸墓古墳周辺の観光スポットについても紹介しておきます。
ホケノ山古墳
ホケノ山古墳は箸墓古墳で徒歩数分の場所にあります。全長80メートルと、箸墓古墳と比較すると小さな古墳ですが、上に登ることができます。
被葬者は第10代崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)と伝えられております。
檜原神社
檜原神社(ひばらじんじゃ)は箸墓古墳から1キロ程度離れた場所にあります。
伊勢神宮の御祭神である天照大御神が現在地に移る以前に一時的に祭られた場所と伝えられており、「元伊勢」とも呼ばれることがあります。
ただし、元伊勢と伝承される場所は他にもいくつかあります。
大神神社
大神神社(おおみわじんじゃ)は古くから存在する神社ですが、創建がいつなのかは不明です。
箸墓古墳からは2、3キロの場所にあり、徒歩で行くことも可能です。あまり歩きたくないという方は電車で三輪駅まで行くとよいでしょう。
普通の神社は本殿があって御祭神をそこに祀っていますが、この神社は背後にある三輪山を祀っているため、本殿がありません。
狭井神社
狭井神社(さいじんじゃ)は大神神社の奥の方にあり、三輪山登山の受付口にもなっております。
三輪山は古来より大物主という神の住む山として信仰されていますが、この神社ではそこから湧き出る御神水を飲むことができます。
三輪山の中では写真撮影禁止です。
平等寺
平等寺は大神神社のすぐ近くにあります。
聖徳太子が創建したと伝えられており、関ヶ原の戦いで敗走した島津義弘(しまずよしひろ)をかくまった場所としても知られております。
箸墓古墳へのアクセス方法は?
箸墓古墳の最寄り駅はJR万葉まほろば線「巻向駅」となります。巻向駅は無人駅でコンビニに行くにも駅から少し歩くことになります。
食事亭なども周辺にないことはないのですが少ないので、ここでランチなどをする方は、店の場所と営業しているかどうかなどを事前に調べておくことをおすすめします。JR巻向駅から徒歩で10分程度の場所に箸墓古墳があります。
京都方面から巻向駅にアクセスする場合は、次の方法があります。
- JRみやこ路まで奈良駅まで行って、万葉まほろば線に乗り換える。
- 近鉄京都線で八木西口駅まで行って、そこからJR畝傍駅(うねびえき)まで徒歩で移動して万葉まほろば線に乗り換える。
JR巻向駅の隣の駅である三輪駅からも徒歩で行くことが可能です。距離的には2キロ程度ですが、大神神社を観光して、三輪から奈良へ通じる古道「山辺の道」と通ってくるのもまた醍醐味です。
下記に示すのが、巻向駅周辺のマップですが、今回筆者は三輪駅から三輪山に登って、山辺の道を通って檜原神社に行き、そこから井寺池を通ってこの箸墓古墳に来ました。詳細は別の記事「三輪・巻向を散策」にて紹介しております。
まとめ
箸墓古墳について被葬者がだれなのかということや調査の状況、見どころについて紹介してきましたがいかがでしたでしょうか。
この古墳に多くの方が興味を示すのは、やはり日本最古の前方後円墳で、かつ巨大なものだからだと思います。埋葬者が誰なのかということは諸説あることを前に述べましたが、かなりの大物が眠っていることは間違いないと言えるでしょう。
その日が来るかどうかはわかりませんが、この箸墓古墳が発掘許可が下りて、女性の遺体が出てきたら、大騒ぎになるでしょうし、長年決着のつかない邪馬台国論争が大きく動くかも知れません。
発掘調査してもすでに盗掘にあっていれば、得るものは少ないでしょうが、未盗掘の可能性が高いというのも非常に期待が持てます。
巻向駅は無人駅であり、箸墓古墳の周辺には施設が少なくトイレにも困ったので、いつの日かここが世界遺産登録されて、もう少し観光客が沢山来れば、変わってくるのかなと思います。
- 作られたのは3世紀の後半と言われるが諸説あり。
- 全長は約280メートル。
- 被葬者は正確には不明だが、卑弥呼という説あり。
- 日本書紀によると被葬者は倭迹迹日百襲姫という皇女。
- 未盗掘の可能性が高いが発掘調査の許可は出ていない。
- 世界遺産登録は今のところされていない。
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