等彌神社の見どころは?神武天皇の霊畤?主祭神は天照大御神?

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鳥見山霊畤

奈良県桜井市の鳥見山(とみやま)は神武天皇の霊畤(れいじ)と伝えられております。

霊畤というのは新天皇が即位した後、最初に行われる新嘗祭(にいなめさい)行う場所のことです。新嘗祭とは11月23日に行われる宮中祭祀です。

不思議な八咫烏の像が象徴となっている等彌神社(とみじんじゃ)には、その鳥見山に登るための登山口があります。今回は等彌神社の見どころや鳥見山の登山についてレポートしたいと思います。

等彌神社ってどんなところ?

等彌神社はどのようなところで、何を祀っているのでしょうか。簡単に説明しておきたいと思います。

等彌神社の創建はいつ?

等彌神社の創建がいつなのかは不明ですが、かなり古くからあったと思われます。元々は鳥見山の山中にあったそうですが、平安時代に山崩れが起こって埋もれてしまい、現在の位置に移動したそうです。

等彌神社の主祭神は誰?

等彌神社の主祭神は大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)でこれは天照大御神(あまてらすおおみかみ)の別名です。古事記や日本書紀では神武天皇は天照大御神の子孫とされております。

天照大御神を魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に登場する邪馬台国(やまたいこく)の女王「卑弥呼(ひみこ)」と同一視する説もあります。

そうなると神武天皇は卑弥呼の子孫ということになりそうですが、卑弥呼には子供がいなかったと伝えられております。つまり、子孫も存在しないということになります。

かつては違う主祭神だった?

等彌神社の主祭神は天照大御神ですが、かつては饒速日命(にぎはやひのみこと)だったという説があります。実際、時代の情勢変化などで神社の主祭神が変更されることはあるそうです。

饒速日命のというのは神武天皇が東征してくるとき、この辺りの地域を治めていた神です。饒速日命の配下である長髄彦(ながすねひこ)が神武天皇と激突しましたが、饒速日命は長髄彦を殺して神武天皇に降伏しました。

饒速日命は古代豪族である物部氏の祖先であると伝えられています。物部氏は蘇我氏と対立して破れ、滅亡してしまいました。

等彌神社の境内にある下津尾社では、饒速日命を祀っております。

等彌神社の見どころは?

それでは、等彌神社の見どころについて紹介したいと思います。

等彌神社の境内案内図です。なかなか敷地の広い神社であることがわかります。光の具合で見にくいですが、一番左上の鳥見山(とみやま)の頂上に神武天皇の霊畤と伝えられる場所があります。

ちなみに、奈良県宇陀市の鳥見山(とりみやま)も神武天皇の霊畤と伝えられているそうです。当然、霊畤は1箇所だけですので、どちらかが偽物、あるいは両方偽物ということになります。

→ 奈良県宇陀市の鳥見山公園|勾玉池・鳥見社・神武天皇霊畤跡

等彌神社の境内案内図

神武天皇聖跡顕彰碑

等彌神社の入り口の近くには神武天皇聖跡顕彰碑がありますが、これは戦前に建てられたもののようです。

今では神武天皇についての記載は歴史の教科書から消えてしまいましたが、戦前は教科書に書かれていて誰でも知っていたそうです。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指導で教科書の天照大御神や神武天皇の部分は削除されたとも聞いたことがあります。

神武天皇聖跡顕彰碑

上津尾社

等彌神社の本社にあたる上社「上津尾社」です。主祭神である大日霊貴命(天照大御神)が祀られております

等彌神社の拝殿

鳥見山・神武天皇の霊畤

上津尾社の左の方に行くと、鳥見山の頂上に行くための登山口があります。

霊畤への案内

鳥見山の標高は「245m」です。それほど高い山ではないですが、このところ、山に登ったり、歩きまわったりでちょっと疲れ気味です。力を振り絞って登り始めました。

霊畤への道

しばらく進むと案内板がありました。霊畤までは1キロ強ですね。

鳥見山の案内

霊畤拝所です。調べてみると、拝所は「うがんじゅ」と読み、沖縄地方で神霊がよりつく聖域だそうです。

霊畤拝所

木が倒れて道を塞いでますが、他にも数箇所こういったのがありました。

京都の鞍馬山が台風で大きな被害を受けたとニュースで見ましたが、台風の影響で倒れてしまったのでしょうか。

霊畤への道

庭殿句碑です。説明を読むとこの場所は庭殿(にわどの)と呼ばれていて、祭りの饗宴(きょうえん)が行わえていたそうです。

句碑

庭殿句碑の近くにベンチがあったので、一休みしようと思いましたが、座ってみるとなんだかやわらかい感触がしました。勢いよく座ったら、壊れそうな感じです。

庭殿句碑のベンチ

さらに進んでいくと「白庭」と掘られた石碑がありました。説明書きがないので、よくわかりませんが、白庭山の頂上という意味なのかも知れません。

白庭の石碑を超えれば、霊畤はもう間もなくです。いったん下る道があって、最後にまた上りがあります。この上が霊畤です。

霊畤の前

鳥見山の頂上につきました。登山口からここまでの所要時間は1時間半弱でした。

頂上には「霊畤」と掘られた石碑があります。ここが神武天皇の霊畤と伝えられている場所のようです。石碑の前になにかありますが、お供え物でしょうか。

鳥見山霊畤

お供え物とみられるものは、左は米のようですね。右は塩でしょうか。

霊畤のお供え物

帰り道は、一度迷ってしまいました。ところどころテープで印がついていたので、正しいと思って進んでいましたが、いつまでたっても白庭の石碑は見えてこないし、行きは、こんなところ通ってないような気がしてきました。

昔、こんなときにそのまま進んでえらい目にあったことがありますので、一旦、霊畤に引き返しました。

霊畤の帰り

霊畤の直前の階段を降りたところで、いきなり間違えてしまったようです。なんとなく、左の道に行ってしまいましたが、右に曲がっていくのが正しい帰り道です。

階段から降りてきたとき、右側に道があるように見えなかったので、間違えてしまいました。

鳥見山の分かれ道

八咫烏の土偶

等彌神社では境内から出土した八咫烏(やたがらす)の土偶が有名です。

八咫烏は神武天皇の道案内をしたとされるカラスで導きの神として信仰されております。社務所にレプリカがあって、写真も取れるようですが、この日は住職の方は帰ってしまったようです。

神社に着たときは、まだ住職が居て掃除などをしていたので、そのときに八咫烏の土偶について聞いてみればよかったです。とりあえず、社務所の前にあった八咫烏の土偶の写真がこれです。ガラス越しなので、綺麗には移りませんでした。

等彌神社の土偶

八咫烏の土偶は、まるで宇宙服を着ているみたいと思う人や、宇宙人ではないのかと思う人もいるようです。等彌神社のシンボルになっているみたいですね。

等彌神社の八咫烏

等彌神社のアクセス方法は?

等彌神社へのアクセスは近鉄、JRどちらでも可能です。最寄りの駅は近鉄大阪線の桜井駅または、隣接しているJR桜井線(万葉まほろば線)の桜井駅です。

近鉄桜井駅

桜井駅の前には「まほろばの里 卑弥呼」というみやげ屋があります。桜井市らしいおみやげがほしいので、時間があったら帰りに寄っていきたいと思います。

まほろばの里 卑弥呼

等彌神社の近くまでバスも走っていますが、本数が少ないので歩いていくことにしました。距離は約1.3キロで、所要時間は20分程度となります。

等彌神社の方角は「まほろばの里 卑弥呼」ある方とは違う南出口になります。

桜井駅南出口

場所がわかりにくかったので、グーグルマップをナビ代わりにして進みました。こちらが等彌神社の鳥居です。

等彌神社

等彌神社にはトイレがあります。駐車場もあるので車で来ることも可能です。

等彌神社のトイレ

帰りは約1時間に1本のバスがタイミングよく着たので、桜井駅までバスで帰りました。駅前の土産屋「まほろばの里 卑弥呼」で卑弥呼まんじゅうを買って帰りました。

「まほろばの里 卑弥呼」のおばちゃんが観光スポットとして談山神社(たんざんじんじゃ)は藤原鎌足を祀る神社をゴリ押ししてました。地元では西の東照宮(とうしょうぐう)とか呼ばれるそうです。

談山神社の場所は桜井駅から5キロほど離れております。行ってみようかなと少し検討してみましたが、バスの本数は少ないですし、タクシーだと料金がかなりかかってしまいます。

時間は午後4時で、冬のこの時期はそろそろ暗くなり始めます。残念ですが、今回は諦めることにしました。

卑弥呼まんじゅう

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まとめ

奈良県桜井市の等彌神社の見どころや鳥見山の登山レポートをしてきましたが、いかがでしたでしょうか。

神武天皇が実在したかどうかは定かではありませんが、このように霊畤と伝えられている場所などが実際にあると、実在した人物なのではないかなんて思ってしまいますね。

日本で歴史書(古事記・日本書紀)が誕生するのは8⃣世紀のことで、それ以前については中国の歴史書や発掘調査に頼るしかありません。古事記や日本書紀にはそれ以前のことも書かれていますが、神話や言い伝えの要素が強く、どこまでが現実なのか判断するのは非常に難しいです。

鳥見山は標高の低い山なので、ちょっと軽い登山でもしてみたいなといった方にもおすすめの場所です。ただし、登山道はちょっとわかりにくいところもあるので、筆者のように迷ってしまわないように注意してください。

仮に迷ってしまっても、標高が低く山の所々から道や建物などが見えるので、それほどの危険はないと思います。

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