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江戸東京博物館の特徴は?展示品の見どころは?日本橋・長屋の模型

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江戸東京博物館

江戸東京博物館

江戸東京博物館は両国駅前にある、東京の近現代史についての模型や資料を展示している博物館です。

豊富な模型があるので、小さいお子さんでも視覚的に楽しむことができるでしょう。そのため、小学生の修学旅行で、よく利用されているようです。もちろん、豊富な資料もあって大人でも、近現代史の勉強になります。

規模は縮小しているものの江戸時代の日本橋を復元したものがあって、実際に橋を渡ることもできます。さらに、江戸城の模型、徳川家康の等身大像なんかが展示されております。

江戸東京博物館の特徴について解説し、見どころなどについてレポートしていきたいと思います。

江戸東京博物館の特徴は?

江戸東京博物館は1993年に開館した公益財団法人東京都歴史文化財団が運営する博物館です。この博物館は菊竹清訓の設計によるユニークな建物が特徴となっております。

展示品は江戸時代から近現代に至るまでの歴史における貴重な資料や、復元模型となっております。この時代については本などから知識を取得することもできますが、実際の模型を見て視覚的に覚えることができるのが特徴で、修学旅行などでもよく利用されております。

復元模型といったら、かなり縮小されたものを想像すると思いますが、江戸東京博物館ではそれが実物大だったり、かなりのスケールだったりするので、実際に当時にタイプスリップしたような感覚を覚えることができるのも特徴です。

江戸東京博物館「江戸ゾーン」の展示品と見どころは?

江戸東京博物館「江戸ゾーン」の展示品についてレポートしていきたいと思います。江戸ゾーンでは江戸時代の東京についての資料が展示されております。

旧日本橋の復元模型

展示室の入り口を入ると、旧日本橋の復元模型があって、実際に渡ることもできます。当時の橋は約51メートルの長さだったといいますが、そのうち半分が復元されております。

旧日本橋の模型

旧日本橋の模型

旧日本橋の模型

旧日本橋の模型

旧日本橋の模型

旧日本橋の模型

日本橋が完成したのは1603年であり、江戸幕府が成立した年となります。ちなみに、現在の日本橋は鉄筋コンクリート製であり、当時の面影はありません。

現在の日本橋

フリー素材.comより

復元された日本橋の脇には気になる建物がありますが、これは江戸時代の芝居小屋である中村座を復元したものとなります。中村座は東京都中央区京橋にあった建物ですが、現在では残っておらず、跡地に碑が建っております。

中村座の復元模型

中村座の復元模型

江戸城の復元模型

こちらの展示品は江戸城の復元模型です。

江戸城は元々は室町時代に太田道灌(おおたどうかん)という武将が築いた城ですが、徳川家康によって拡張されました。以降は、徳川将軍の居城となっていたというのは言うまでもありません。明治になって天皇が京都御所から移住し、現在では皇居となっております。

天守閣は1657年の明暦の大火(めいれきのたいか)で焼失してしまいました。現在、天守閣を復元しようとする動きもあるようですが、実現できるかはわかりません。

江戸城の模型

江戸城の模型

徳川家康の坐像

こちらの展示品は徳川家康の坐像の複製品です。

この像のすごいところは、等身大と言われていることです。顔が大きく、がっしりした体型の印象です。家康の身長は160センチに満たなかったそうですが、当時としては決して小さいわけではありませんでした。

徳川家康の坐像

徳川家康の坐像

大名駕籠の体験

参勤交代のときに使用していた大名駕籠(だいみょうかご)の複製品で、実際に中に入って体験することもできます。

スマホや携帯ゲーム機があれば、中で退屈しのぎができますが、これに乗ってダラダラと移動するのは、現代人にはきついかもしれません。

当時としてできることは、景色をぼーっと見ていたり、せいぜい本を読むことぐらいでしょうか。

中に人が入ると、推定100キロは軽く超えそうです。4人で担いだとしても一人あたり30キロ近いので、運ぶ人は相当な苦行になるかと思います。現代人の多くは30キロの荷物を持って、あるき続けることは、おそらくはできないでしょう。

大名駕籠

大名駕籠

大名駕籠

大名駕籠

長屋の復元模型

こちらの展示品は長屋の等身大復元模型です。

長屋というのは江戸時代の集合住宅です。広さは4畳半でなんとか布団がしける程度です。長屋ではトイレは共同だったそうです。

長屋の模型

長屋の模型

寺子屋の復元模型

こちらの展示品は寺子屋の様子を復元したものです。寺子屋というのは江戸時代の私塾で、文字の読み書きなどを教えていました。

現在の小中学校と違って、通う義務はないはずですが、幕末には全国で1万を超える寺子屋あったといいます。授業料も決して安くはないはずで、当時の親も子育ては大変だったことが伺えます。

寺子屋の模型

寺子屋の模型

組の纏

江戸では火事が頻発していようですが、消火隊が持っていた纏(まとい)です。消火隊はいくつかの組に別れており、纏は組のシンボルでした。

実際に持って体験することができますが、小学旅行の小学生たちに大人気でした。ただ、かなり重くて小学生の力では持ち上げるのは大変のようでした。

組の纏

組の纏

絵草紙屋の模型

絵草紙屋(えぞうしや)は絵草紙や錦絵が売られていた店です。

絵草紙というのは挿絵を多く入れて説明文を加えた大衆向けの読物です。イメージ的には絵本といったところでしょうか。錦絵は聞いたことがある人も多いと思いますが、木版画です。この模型に飾られている相撲取りなどの絵がそれにあたります。

絵草紙屋の模型

絵草紙屋の模型

こちらが絵草紙です。寺子屋の効果もあってか、幕末では識字率は7割~9割あったとも言われております。これは同時代の他国を圧倒していたと考えられております。

絵草紙

絵草紙

これは千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館で撮ったものですが、こちらが錦絵です。最初は黒一色でしたが18世紀中半になると、こういった多色になりました。当時の風俗などをよく表しており、貴重な資料となっております。

錦絵

錦絵

両国橋の復元模型

こちらの展示品は江戸時代における両国橋の西詰付近の復元模型です。見世物小屋や屋台が集まっていて、賑わっていたそうです。

両国橋の模型

両国橋の模型

ちなみに両国橋の現在はこんな感じです。

両国橋

両国橋

江戸時代にはコンビニやスーパーは、もちろんありませんでしたし、家には食料を保存する冷蔵庫すらなかった時代です。

そのため江戸ではあちこちに屋台がありました。屋台でどんなものを扱っていたのかというと、代表的なものが「すし」「天ぷら」「そば」となります。

こちらの展示品はすしの屋台の等身大復元模型となります。

すしの屋台の模型

すしの屋台の模型

江戸で屋台が流行った理由には、独身の男性が多かったということもありそうです。幕末になるに連れて、男女比は次第に均等になっていきました。

江戸の男女比

江戸の男女比

三井越後屋江戸本店の模型

こちらは三井越後屋江戸本店の模型です。

この頃は呉服屋でしたが、現在の日本橋三越本店の前身となります。1673年に三井高利が江戸本町一丁目に呉服店を開店して、1683年にこの地に移転しました。このとき両替店も設置して、それが後の三井住友銀行になりました。

三井越後屋江戸本店の模型

三井越後屋江戸本店の模型

江戸東京博物館「東京ゾーン」の展示品や見どころは?

江戸東京博物館の江戸ゾーンについて紹介してきましたが、この先は「東京ゾーン」の見どころについて紹介したいと思います。

東京ゾーンは明治以降の東京に関するものが展示されております。

朝野新聞社の模型

こちらの展示品は朝野新聞社の等身大復元模型です。

朝野新聞というのはご存じない方が多いかも知れません。漢字から察するに朝日新聞の前身かなにかと想像してしまいますが、そうではありません。

こちらは銀座にあった新聞社で、この新聞は1874年に発行開始され、1893年に廃刊となりました。「あさのしんぶん」と読んでしまいそうですが、「ちょうやしんぶん」と読みます。

朝野新聞社の模型

朝野新聞社の模型

明治時代の公衆電話の模型

こちらは明治時代に銀座に設置された公衆電話の模型です。

公衆電話は携帯電話が普及するまでは、至るところで見られましたが、今ではなかなか見つからなくなってしまいましたね。

明治時代の公衆電話の模型の公衆電話の模型

明治時代の公衆電話の模型

明治時代の公衆電話の模型

明治時代の公衆電話の模型

ダルマ自転車

ダルマ自転車は明治時代に走っていた自転車です。早く進むために前輪が大きく作られているようです。

ダルマ自転車

ダルマ自転車

ダルマ自転車の椅子は木製であり、実際に座ってみると、お尻が痛くて耐えられません。もっとも私は、ロードバイクなどのクッション性のない椅子でもすぐに痛くなります。

以前にロードバイクを買ってみて、まともに座ることができなかったので、別途クッションカバーを購入する羽目となりました。でも、このダルマ自転車はロードバイクで大丈夫な人でも、駄目だと思います。

ダルマ自転車

ダルマ自転車

人力車

人力車は、明治時代はよく町を走っていたそうです。今でも観光地などで見かけることがありますね。京都の嵐山なんかが人力車で有名です。

当時東京で製造された人力車は大ヒットとなり、海外にまで輸出されていたといいます。

人力車

人力車

明治時代の銀座の模型

こちらの展示品は明治時代の銀座の模型となります。

近代国家にふさわしい街として、明治新政府が計画的に作ったものだそうです。かなり西洋的でなんだか日本ではないみたいですね。

明治時代の銀座の模型

明治時代の銀座の模型

凌雲閣(浅草十二階)の模型

凌雲閣(りょううんかく)は浅草のシンボルとして1890年に完成した建物です。浅草十二階とも呼ばれます。

1923年の関東大震災で倒壊してしまいました。

凌雲閣(浅草十二階)の模型

凌雲閣(浅草十二階)の模型

昭和初期のタクシー

こちらは東京で走った昭和初期のタクシーです。フォード製です。1円で乗れて庶民も利用していたそうです。

初期のタクシー

初期のタクシー

リンタクの模型

戦後しばらくはガソリン不足で、このリンタクが流行したといいます。

電動アシストがついてればよいのですが、もちろん当時はそんなものはないので、これをこぐには、かなりの脚力が必要だと思われます。

リンタクの模型

リンタクの模型

昭和初期の住宅の模型

昭和初期の住宅の模型です。

今でも田舎のほうにいけば、こういった住宅は残っていますね。サザエさんの家も、このような感じですが、これよりも断然広いです。

ちなみにサザエさんの家は東京都世田谷区にあって、現在の土地の価値は2億五千万を超えるそうです。カツオくんが引き継ぐのか、タラちゃんが引き継ぐのかはわかりませんが、将来は億万長者ということになります。

昭和初期の住宅の模型

江戸東京博物館のその他の施設

最後に江戸東京博物館のその他の施設について紹介したいと思います。これらの施設は入場券なしでも利用することができます。

図書館

7階には図書館があります。歴史的な資料がおいてあって、調べ物をすることができます。

図書館

図書館

ミュージアムショップ

1階にあるミュージアムショップでは、記念品やお土産を買うことが出来ます。

ミュージアムショップ

ミュージアムショップ

カフェ

1階にはカフェがあって、軽食をとったり、休憩することができます。

東京江戸博物館カフェ

東京江戸博物館カフェ

レストラン「江戸博砂漠」

1階にレストラン「江戸博砂漠」があります。

お腹が空いている方は、ここでしっかりと食べるのもよいでしょう。メニューはエジプト料理などです。

また、相撲の聖地ということで、周辺には「ちゃんこ屋」などもあります。

レストラン「江戸博砂漠」

レストラン「江戸博砂漠」

江戸東京博物館へのアクセス方法は?

江戸東京博物館には有料の駐車場がありますが、大型バスが優先となっており、乗用車は入場できない場合もあります。

そんなこともあって、電車で行くことをおすすめしますが、最寄り駅は両国駅となります。すぐ駅の目の前にあるので、特に行き方を調べる必要はないと思います。

両国駅

両国といえば、大相撲で有名な両国国技館を思い浮かべる方も多いと思いますが、江戸東京博物館は国技館の隣に建っております。

両国国技館

両国国技館

両国駅を出て、国技館を超えていくと、異様な形の建物が見えてきますが、それが江戸東京博物館となります。

江戸東京博物館

江戸東京博物館

駅から建物に向かっていき、階段を上がっていくと、チケット売り場があります。展示室は5階、6階となりますが、入場するにはチケットが必要となります。また、1階で特別展が開催されていることもあり、料金は常設展示と別途になります。

料金の詳細については、こちらをご確認ください。

江戸東京博物館 チケット売り場

江戸東京博物館 チケット売り場

展示室にいくには、こちらのエスカレーターを上がっていきます。

江戸東京博物館 エスカレーター

江戸東京博物館 エスカレーター

展示室の入口は6階となります。6階は江戸ゾーンとなっており、江戸時代に関する模型や資料が展示されております。5階は江戸ゾーンと東京ゾーンに分かれており、東京ゾーンでは、明治以降の東京に関する資料などが展示されております。

江戸東京博物館案内図

まとめ

江戸東京博物館の特徴について解説し、展示品の一部についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

この博物館では江戸時代がどのような時代だったのか、実際にいろいろな展示で体験することができます。歴史は本などでも学ぶことができますが、こういった展示を実際に見ることで、また違った感覚を覚えると思います。

江戸や明治の東京を体験したいと思った方は、ぜひ一度、江戸東京博物館に行ってみてください。

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