千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(歴博)は歴史学、考古学及び民俗学に関する資料が展示されている、日本で唯一の国立博物館です。展示内容が豊富で、視覚的に歴史を見ることができるため、小学生の修学旅行などでもよく利用されております。
国立歴史民俗博物館は主に次の6つの展示室で構成されていることは、以前の記事で説明いたしました。
- 第一展示室:先史・古代
- 第二展示室:中世
- 第三展示室:近世
- 第四展示室:民族
- 第五展示室:近代
- 第六展示室:現代
以前の記事で「先史・古代」と「中世」についてはレポートしましたので、今回は第3展示室の「近世」の見どころなどについてレポートしていきたいと思います。時代的には主に江戸時代となります。
鎖国の江戸時代で貿易が行われていた?
江戸時代といえば鎖国をしていて、貿易が行われていなかったというイメージを持っている方もいるかも知れませんが、実際は一部の国と貿易が行われていました。
キリスト教の国であるスペインやポルトガルとの貿易は禁止されていましたが、オランダ(東インド会社)、中国、朝鮮、沖縄、アイヌなどと貿易が行われていました。
江戸時代の輸入品
小麦、大豆、果物など現在でも、日本は海外から大量の品を輸入しておりますが、江戸時代にはどんなものを輸入していたがご存知でしょうか?
江戸時代の輸入品で代表的なものを紹介していきたいと思います。
まずは生糸です。素材は絹ですが、明治時代あたりからは日本でも蚕を飼育して盛んに生産されるようになりました。
薬・香辛料です。具体的には風邪のときに現代人も飲むことがある、麻黄などです。コーヒー豆も薬として輸入されていました。また、エジプトのミイラも薬として輸入していたそうですが、現代人はとてもじゃないけど、飲みたくはないでしょう。
こちらは鮫皮ですね。今では需要はなさそうなものですが、当時は刀の柄や鞘の素材として使われていました。
こちらはアイヌからの輸入品ですが、作業着などとして人気があったそうです。
江戸時代の輸出品
では逆に日本からは何を輸出していたのでしょうか?
まず挙げられるのが銀です。戦国大名がこぞって銀山の開発をしていましたが、江戸時代には世界の銀の三分の一を日本が所有していたとも言われております。
つまり、この頃の日本はお金持ちの国だったのです。
日本は海に囲まれた島国ですが、海産物も輸出品となっておりました。具体的には昆布、なまこ、アワビなどです。
中華料理でお馴染みのフカヒレも輸出しておりました。
江戸の町並みってどんな感じ?
こちらは江戸時代の江戸の町並みの模型です。
かなり住宅が密集していて、火事が起きればひとたまりもなさそうですね。実際、「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど、江戸の町では火事が多かったといいます。
1657年の明暦の大火では死者が10万人以上といわれ、江戸が焦土と化しました。このときに、江戸城の天守閣も失っています。この大火のあとは強制的に空き地が設けられることになりました。
江戸城の天守閣については再建の話も出てきておりますが、はたして実現はされるのでしょうか。
こちらは日本橋の模型です。日本橋は1603年に作られ、長さは約51メートル、幅は約8メートルでした。1603年といえば、徳川家康が江戸幕府を開いた年でもあります。
ちなみに現在の日本橋は、このような感じです。
今の日本橋には江戸時代の面影は全くありませんが、両国にある江戸東京博物館に、サイズを縮小して日本橋が復元されていて、実際に橋を渡ることも出来ます。
江戸時代は旅行が盛んだった?
江戸時代では庶民に余裕が出来てきたのか、旅が盛んになりました。旅行の主な目的は寺社参拝です。
当然、電車やバスなどもなく、庶民は馬も持っておりず、東海道などを歩いて旅することになります。長い道のりであり、数ヶ月を要する場合もあったといいます。
旅の道のりでは人気のない場所を通過する場合もあるでしょう。道中は危険を伴うので、旅をするのは主に男性でしたが、女性も近場には出かけていたといいます。
道標
こちらは東海道と中山道の分岐に建っていた道標です。今でいうと交通案内標識といったところでしょうか。
これらの道標は、幕府が設置したというわけではなく、ほとんどが私的に設置されておりました。
国立歴史民俗博物館の前を通る成田街道にも多くの道標がありました。成田街道は江戸と成田山をつなぐ街道でした。
現在でも成田街道では、船橋と津田沼の間あたりに当時の道標が設置されております。
江戸時代で人気の旅先は?
江戸時代の旅先として代表的なのが、伊勢神宮です。下の絵はその賑わいの様子を示しています。
江戸などから伊勢神宮に行った後は、その脚で関西に行ったりもしていました。中には四国まで行く人もいたようです。長旅は農業が暇になる時期である12月から2月にかけて行くことが多かったといいます。
2016年に伊勢志摩サミットが開催され、各国の首脳が伊勢神宮に集まったのが、記憶に新しいです。
江戸時代の宿屋
江戸時代の宿は、どのような感じだったのでしょうか?
こちらは三重県にある宿屋「角屋」の当時の復元模型です。角屋は改修はされておりますが、現在でも残っております。
客室はこんな感じです。広さは4畳半でしょうか。今でも一人なら十分宿泊できそうですね。
さて、宿屋ではどのような食事が出ていたのでしょうか。こちらは、東海道新居宿の夕食です。うなぎの蒲焼もあってなかなか豪華です。鰻は今でこそ、庶民には食べにくい高級品となっていますが、10年ぐらい前は、半額ぐらいだったんですけどね。
こちらは中山道妻篭宿の夕食です。豪華とは言えませんが、栄養バランスが良さそうな感じです。
まとめ
国立歴史民俗博物館(歴博)の近世展示室の見どころなどについてレポートしてきましたが、いかがでしょうか。ここで紹介したものは、一部であって、実際はもっとたくさんの展示があります。
歴史は本などで学ぶことができますが、こういった展示品や模型などを見ることによって、当時のようすを身近に感じたり、違った感覚を覚えることだと思います。
国立歴史民俗博物館は館内が広く、非常に見応えのありますので、歴史に興味がある人は、機会があったら、ぜひ一度は行ってみてください。
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