平等寺
大神神社の拝殿から向かって右のほうには平等寺(びょうどうじ)があります。拝殿から歩いて5分ぐらいの場所だったと思います。
この平等寺は島津義弘(しまずよしひろ)ゆかりの寺と宣伝しております。
島津義弘は関ヶ原の戦いで敗れた西軍側にいた大名です。島津軍は大ダメージを受けて義弘は命からがらに敗走しますが、この寺でかくまわれたそうです。
平等寺の中には聖徳太子(しょうとくたいし)の像があります。なぜ太子の像があるかというと、この寺を建立させたのは聖徳太子だからです。
山の辺の道
狭井神社の手前には檜原神社(ひばらじんじゃ)へと向かう道があります。この道は山の辺の道(やまのべのみち)と言って、天理まで続いている約16キロの道です。
今回は天理までは行くつもりはありませんが、この道で檜原神社へと向かいました。
石畳でなかなか風情のある道です。
山の辺の道をしばらく歩いていると、何やら「日本最古社」という看板が見えてきました。靇神神社とありますが、「りゅうじんじんじゃ」と読むみたいです。
大神神社も日本最古の神社ではないかと言われることもありますし、日本最古は怪しいと思いながらも、とりあえず寄って見ました。
池が見えてきました。岩壺池という名前だそうです。
案内がその先になにもなく、どれが靇神神社なのかわかりません。これでしょうか?
ちょっと違うような気がします。
池の向こうにもそれらしきものがあります。断言はできませんが、こちらが靇神神社のようです。
山の辺の道へ引き返して、再び檜原神社に向かいました。しばらく進むとまた何やら古そうな建物がありました。玄賓庵(げんぴんあん)です。
この建物は桓武天皇と嵯峨天皇に厚い信任を得ながら、俗事を嫌い三輪山の麓にひっそりと暮らしていたという玄賓僧都の庵と伝えられております。
僧都(そうず)というのは位の高い僧の官位のことで、玄賓は818年になくなりました。
玄賓庵の中にはベンチがあって休むことができます。
疲れていたので休んで行きたかったのですが、トイレに行きたかったので先を急ぐことにしました。
玄賓庵まで来れば檜原神社は、もうすぐです。距離にして200~300メートル程度だったと思います。玄賓庵を越えた後、登山道みたいな道に入って、ちょっと不安になりましたが、それらしきものが見えてきました。
真っ先にトイレを探しましたが、檜原神社の中にあってよかったです。
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