天下統一を果たした豊臣秀吉の墓はどこにあるのかご存知でしょうか?
これは意外と知られていないと思います。秀吉の墓は豊国廟と呼ばれ、京都の東地区、清水寺の近くにあります。見慣れない日本語が混ざっていますが、豊国廟の読み方は「とよくにびょう」といいます。
この豊国廟ですが観光スポットとして、あまり知られていないらしく、穴場と言えるでしょう。ただし、人気がなさすぎて女性が少人数で行ったりすることは危ないと思うので、おすすめできません。
そういった背景もあるのか観光スポットとしてはあまり紹介されておらず、場所や生き方などを調べてもわかりにいくいです。そんなわけで、豊国廟へのアクセス方法や実際に行ってみた体験をレポートしたいと思います。
豊国廟へのアクセス方法は?
豊国廟は京都の超有名スポットである清水寺の近くにあり、距離的には500メートルぐらいしか離れていません。ただし、豊国廟と清水寺には直線的な道はないので、清水寺から歩いたら、2キロぐらいあります。
豊国廟の最寄駅は京阪本線の七条ですが、そこから距離は2キロほどあります。市バスで行く場合は、バス停「東山七条」で降りますが、そこからだと七条駅よりは少し近くなりますが、まだまだ距離があります。
豊国廟に行く途中には京都女子大学があります。本数はあまり多くないですが、この大学まで京都駅八条口からバスで行くことも可能です。通常の市バスではなく、「プリンセスラインバス」という赤いバスに乗ります。
こちらの赤いバスがプリンセスラインバスです。バス停「京都女子大学前」の近くに車庫がありました。このバス停からだと豊国廟観光の所要時間は往復30~40分程度となります。
今回は豊国神社から歩いて、豊国廟に行きましたので、アクセス方法をレポートしたいと思います。
京都女子大学へと続く女坂を登っていくと、「豊国廟参道」と書かれた石標がありました。ここまで来るのにちょっとわかりにくいと思いますが、キーワードは「女坂」と「京都女子大学」ですので、それを目指して進んでください。
女坂の入り口の左手には妙法院というお寺があります。女坂がわからなかったら、妙法院で調べてみるのもよいでしょう。
女坂を登っていくと、右手に神社が見えてきました。新日吉神社(いまひえじんぐう)といいますが、後白河上皇が創建したものであり、後白河天皇を祀っております。
平安時代に創建されたものにしては、かなり新しい建物の感じがしますが、明治時代にこの場所に移設されたそうです。
さて、新日吉神社、京都女子大学を越えて進んでいくと、ようやくそれらしきものが見えてきました。案内が少ないので、まだこの先が豊国廟とはわかりません。
階段を上がるとこんな感じです。ちょっとわかりにくいのですが、どうやら、豊国廟に続く道で間違いないようです。
左に受付の建物がありますが、無人でした。案内にはこの先に豊臣秀吉のお墓があると書かれています。
これが例の非常に長い階段の下です。階段の下には拝観料(100円)を収める箱があります。
豊国廟の観光レポート
ここからは豊国廟の観光レポートをしていきたいと思います。
秀吉の母へ続く階段の下から見上げてみると、確かに上までかなりあります。後で調べてみたら、階段は485段あるそうです。このあたりが人があまり来ない理由のひとつになっている感じがします。
途中までいって下を見てみると、黒人が2人、階段を登り初めていました。しかもかなり早い。このような人通りの少ないマイナーな場所に外国人も来るんだと感心しましたが、追い抜かれるのは気分的に嫌な感じがしたので、ちょっと急いでみました。
階段を登りきって、ようやく頂上かなと思ったら、まだ先がありました。普段あまり運動しない方はいきなり行くと相当きついと思います。
それにしても、明かり一つないので、暗くなってから来るとかなり危険そうです。一般的な感覚として暗くなるのは夜5時とか6時以降ですが、紅葉シーズンは午後4時を過ぎると暗くなり始めるので注意が必要です。
二回目の階段を登りきって、ようやく着きました。これが秀吉の墓です。豊国廟参道と書かれた石碑から、ここまでの所要時間は40分程度でした。写真を撮らずにただ行くだけなら、30分程度だと思います。
階段の下からの所要時間は、約10分程度でした。時間自体はそれほどではないですが、10分も階段を登り続けるのは、普段はなかなか体験できません。
それにしても、徳川家康の墓がある(諸説あるが)日光東照宮があれほど豪華で賑わっているのに秀吉の墓が、ほとんど知られておらず、人もあまり来ないのはなんだか複雑な気分がします。
秀吉が亡くなった当時は神(豊国大明神)として祀られ、祭りなども盛大に行われていたそうですが、家康が神号を廃止し、ここへの参拝も禁止にしたそうです。
また、秀吉の墓は当初は山の中腹にあったそうですが、明治の時代に山頂に移したそうです。もちろん、秀吉の亡骸もそのときにいっしょに移動したそうです。
ここに来たとき、不思議と一瞬だけにわか雨にあいました。歓迎されていたのか、あるいは煙たがれていたのかはわかりませんが、歓迎されたと思いたいところです。
振り返って階段を見下ろすと、さきほどの黒人の方々が階段を登ったり下ったりとしておりました。どうやら陸上競技をやっている方々のようで、トレーニングをしていたようです。
確かに、これだけ長い階段は珍しく、陸上のトレーニングをするには最適かも知れませんね。
まとめ
あまり人気のない京都の穴場スポットである豊国廟のアクセス方法などについてレポートしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
有名な戦国武将である豊臣秀吉の墓ということで、もっと有名になってもいい感じがしますが、アクセスの悪さや行き着くまでの長い階段が、その障害になっているようです。
豊国廟は秀吉を祀る豊国神社の一部となっておりますが、豊国神社から歩いていくと、お墓にたどり着くまで所要時間は40から50分程度かかってしまいますので、少し遠いかもしれません。
かなり穴場なスポットではありますが、明かりがまったくないので、暗くなってきてから行くのは非常に危険です。また、人がほとんど来ないので、女性が少人数で行くこともおすすめできません。
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