千葉県成田市にある成田山新勝寺といえば、初詣や節分イベントで有名なお寺ですね。この成田山は平安時代に反乱を起こした平将門が開山に深く影響しているのは、意外と知られていません。
- だれが創建した寺なのでしょうか?
- 平将門との関係は?
- 山じゃないのに、なぜ成田山というのでしょうか?
- 見どころはどこなのでしょうか?
- 食事はどこがおすすめ?
- アクセス方法は?
成田山のこのあたりの疑問について説明していきたいと思います。また、見どころも紹介していきますのでご興味のある方はぜひ参考にしてください。
成田山新勝寺ってどんなところ?
成田山新勝寺というのは、どんなところなのでしょうか。簡単な歴史などについて解説したいと思います。
成田山新勝寺の創建は平安時代の940年です。開祖は「寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)」と言われております。あまり知られていない方ですが、皇室との血縁もある大変格の高い僧侶で、真言宗初めての大僧正に任じられた人物でもあります。
宗派は真言宗系の「真言宗智山派」となり、川崎大師や高尾山薬王院が同じ宗派となります。
初詣の参拝者数は近年では東京の明治神宮に次いで2位か3位で、300万人程度となっております。元旦は成田駅から新勝寺までの参道が混んでてなかなか進めないほどです。ちなみに成田山と2位を争っているのは川崎大師です。
成田山では節分の日には力士や芸能人が集まって節分会(せつぶんえ)が開催されています。2019年は横綱の白鳳や歌舞伎役者の市川海老蔵氏、俳優の阿部サダヲさんなどが来ておりました。
成田山の年間の参拝者は1,000万人を越えるといいます。成田国際空港が近いこともあって、外国人も結構訪れております。
成田山新勝寺と平将門の関係とは?
平安時代に平将門(たいらのまさかど)が反乱を起こしたとき、成田山の開祖である寛朝大僧正は、この地に御尊像を奉安し、御護摩を焚いて戦乱が鎮まるようにと21日間祈願します。祈願最後の日、平将門が敗北したといいます。
役目を果たした寛朝大僧正が都へ帰ろうとしたところ、御尊像がこの地に留まれと告げたと言います。僧正はそのお告げを守り、この地に留まって成田山を開山しました。
朝廷の呼びかけにより将門討伐に名乗り出た藤原秀郷(ふじわらのひでさと)らも、ここで将門討伐の祈願を行ったといいます。秀郷はその後、将門を討ち取ることに成功しました。
後に鎌倉幕府を開いた源頼朝も、この成田山で平家討伐を祈願します。平将門も平家なので、その討伐成功にあやかったのでしょうね。
東京の神田明神(かんだみょうじん)は平将門を祀る神社ですが、そのため中には新勝寺と神田明神のどちらかには絶対行かないという人もいるようです。将門の家来の子孫や神田明神の氏子たちなど、将門にゆかりのある人たちの中には決して成田山には参拝しない人もいると聞いたこともあります。
平将門ってどんな人?
歴史の教科書などにも登場する平将門ですが、どんな人と聞かれて、「平安時代に反乱を起こした人」となんとなく覚えているだけの人も多いと思います。将門が一体どんな人なのか、もう少し詳しく知りたいという方のために、どんな人なのか簡単に解説しておきます。
桓武天皇の子孫
よく清和源氏・桓武平氏などと言われたりしますが、平将門も桓武天皇の子孫にあたります。桓武天皇は平安京遷都をした人物ですね。
将門の祖父である平高望(たかもち)は、国司として今の千葉県中部にあたる上総国に派遣されました。国司というのは、朝廷から派遣される地方の役人です。
高望は国司の任期満了後も上総の国に居座り、豪族となっていきます。高望の子どもたちは関東で勢力を拡大し、そのひとりで将門の父である良将(よしまさ)は、下総国を支配していきます。下総国は今でいうと千葉県の北部にあたります。
叔父・国香との対立
将門の父である良将の死後は、将門の叔父にあたる平国香(くにか)が、下総の土地を奪ってしまい、これが将門との対立につながっていきます。
その結果、将門は国香を打ち取ります。国香の息子たちは怒って将門に復讐しようとしますが、武勇に優れていた将門はことごとく勝利し、名声を上げて行きます。
朝廷への反乱
将門は939年にいよいよ朝廷に反乱を起こします。藤原玄明(はるあき)が常陸国司と対立して将門に助けを求めてくると、将門はこれに応じます。常陸の国は今でいうと茨城県のほぼ全てです。
このまま常陸国司と合戦になりますが、国司に歯向かうことは朝廷に歯向かうことになり、朝廷の敵(朝敵)ということになってしまいます。関東全域を平定し、国司を追放した将門は、天皇に変わる存在として「新皇」を名乗ります。
激怒した朝廷は将門討伐を呼びかけますが、それに応じたのが平国香の息子の貞盛(さだもり)と藤原秀郷(ひでさと)です。藤原秀郷は成田山で将門の討伐祈願をした人物ですね。また定盛の子孫が、後に平家黄金時代を築いた平清盛です。
戦死してさらし首
反乱を起こしてから翌年の940年に貞盛・秀郷連合軍との戦いで、将門は額に矢を受けて戦死してしまいます。
将門の首は京都の七条河原でさらされますが、その首はいつまでたっても腐らずやがて飛びはじめ、やがて力尽きて落ちたと伝えられています。その首が落ちたとされる場所(大手町)には現在、首塚が建っております。
当時の人々は重税に苦しんでおり、朝廷に対抗した将門の死を惜しむ気持ちが、こういった伝説を生んだのではないかと推測します。
成田山なのに山じゃないのなぜ?
成田山と呼ばれているのに、お寺周辺に山がないのを不思議に思う方もいるかも知れません。
この成田山というのは山号というもので、寺院の前によくつける略称です。多くの寺院は山の中に建てられたことから、この山号というものが使われるようになりましたが、山号としては比叡山や高野山が有名ですね。
ちなみに比叡山という山は実際にありますが、高野山という山は存在しません。この山号は使われていない寺院もありますし、成田山のように山の中に建っていなくても、山号が付いている所もあります。
成田山と並んで初詣で有名なお寺に川崎大師がありますが、こちらにも金剛山という山号があります。川崎大師も山の中にあるわけではないですね。ただ、金剛山なんて聞いたことはないという人が多いのに対し、なぜか成田山は呼び名としてよく知られております。
成田山新勝寺の見どころは?
それでは成田山新勝寺の見どころについて紹介したいと思います。
成田山表参道
駅から成田山までの参道は商店街となっていて、見どころ満載です。表参道の食べ歩き目的で成田山に来る人もいるほどです。
長命泉は地元で取れる「百薬の長」と呼ばれる水源で作られる日本酒で、江戸時代からある老舗です。おみあげで日本酒を買っていくのもいいと思いますが、店頭で一杯の甘酒が売っています。
成田山表参道に「なごみ米屋」という羊羹(ようかん)の店があります。明治32年創業の老舗です。
前方に成田山の平和大塔が見えてきて、次第に参道らしくなっていきます。
成田山表参道の食べ歩きおすすめなどについては別の記事にしています。
総門
表参道を進んでいくとやがて総門が見えてきます。総門は成田山新勝寺の入り口です。完成は2008年とわりと新しいです。
仁王門
仁王門は1831年に再建されたもので、重要文化財に指定されております。左右には金剛力士像が配置されております。
金剛力士像は網が張られていて、よく見えません。大切なのはわかりますが、もう少しよく見える工夫がほしいところです。
二宮尊徳翁開眼之地
仁王門に向かって右の方には、二宮尊徳翁開眼之地があります。本を読みながら歩いている像で有名な二宮尊徳(二宮金次郎)ですが、ここにある水行場で修行をしたと言われております。
こちらは水行場です。水行といえば滝に打たれることをイメージしますが、この建物からはどんな修行なのかは想像できませんね。
二宮金次郎の像は、一度は見たことがあるといった方が多いのではないでしょうか。
三重塔
三重塔は1712年に建てられたもので、こちらも重要文化財に指定されております。
大本堂
大本堂は節分の日に豆まきが行われる場所です。中に入ることもできますが、撮影禁止になっておりました。
成田山の中にはトイレが数箇所あります。大本堂の左右にも存在します。
釈迦堂
大本堂の左側にある釈迦堂も重要文化財です。江戸時代の1858年に建てられました。
額堂
額堂は1861年に建てられてもので、重要文化財となっております。
聖徳太子堂
聖徳太子堂は1992年に建立されたわりと新しい建物です。聖徳太子の理念に基づいて世界平和を願って建てたものです。
平和大塔
平和大塔は1984年に建設された、わりと新しい建物です。58メートルとかなり高いので、遠くから見ることができて成田山の象徴的な建物となっております。
成田山公園
成田山公園は成田山の境内にある公園です。東京ドーム約3.5個分となかなかの広さです。時間があったら、ぜひ散策してみて下さい。
中は木々に囲まれており、ちょっとした自然探索気分を味わうことができます。
成田山公園は秋には紅葉スポットでもあります。
成田山公園の見どころや紅葉については別の記事で紹介したいと思います。
成田山新勝寺のお守りの種類は?
成田山新勝寺のお守りにはどんな種類があるのでしょうか。
お守りの種類はかなり豊富で、目当てのものがないと困ることはあまりないと思います。具体的には「交通安全」「開運」「魔除け」「出世」「安産」「学業」「縁結び」などです。
お値段は500円からとなっております。
とりあえず交通安全のお守りをゲットです。理由はバイクに乗るというのと、ビニールのカバーがついていて雨などに強そうなことです。
以前に雨でカバンが濡れてしまって、中にはいっていたお守りもビショビショでインクが染み出していたことがあったからです。
成田山新勝寺参拝でお食事はどうする?
朝早くから成田山観光をしたいと考えてる方もいるでしょう。
その場合、どこかで朝食をとりたいかもしれませんが、駅前にマクドナルドやサイゼリヤなどのファーストフード店があります。
マクドナルドは執筆時点では24時間営業なので、かなり朝早くても問題ありません。サイゼリヤは開店が午前10時なので、朝飯を食べるにはちょっと遅いかも知れませんね。参道でも食事をできるところはありますが、早いところだと午前9時から開店します。
成田山は「うなぎ」が有名
成田山新勝寺に観光する場合、ランチは「うなぎ」を食べることが人気となっております。利根川と印旛沼がある成田は鰻の養殖が盛んな場所でもあるからです。うなぎ店のなかでも人気があるのが「駿河屋」と「川豊」です。
駿河屋は新勝寺のすぐ近くにあって、お店の前で鰻を焼いていて、おいしそうな匂いを漂わせております。下の写真は雨の日なので、店の中で焼いております。
川豊や駿河屋は基本的に混むので、整理券をもらって待つことになります。混んでる場合は1時間以上待つこともありますが、整理券をもらって、先に新勝寺を参拝することも可能です。
駿河屋、川豊ともに夕方は閉店が早いので、夕食を鰻というわけにはいきません。詳細は公式サイトで確認してみてください。
うなぎを食べる予算がない場合は?
成田山表参道のうなぎは他と比較すると少し安い感じがしますが、それでもかなりの値段です。中にはそんな予算はないといった方やうなぎを食べるお金があったら、お土産に使いたいという方もいることでしょう。
比較的庶民的な食事亭として、京成成田駅の近くには餃子の王将やラーメン屋があります。
京成成田駅とJR成田駅の中間ぐらいにはサイゼリアもあります。
軽食を取りたい場合は?
軽食を取りたい場合は、成田駅のすぐ近くにマクドナルドやドトールがあります。マクドナルドはJR成田駅と京成成田駅の中間ぐらいに、ドトールは京成成田駅のすぐ近くにあります。
羊羹や饅頭、わらび餅といった和菓子とかなら、表参道にいろいろとあります。
成田山の参道にはセブンイレブンもあります。
成田山新勝寺へ電車でアクセスするには?
成田山新勝寺への電車でのアクセス方法について説明します。
成田山の最寄り駅はJR成田駅と京成成田駅になります。JR成田駅は改札を出てから西口と東口がありますが、新勝寺に行くには東口へ進みます。
京成成田駅の向かってほぼ正面にJR成田駅があります。
新勝寺までは駅から徒歩で10分程度ですが、いかにもといった参道が駅前にあるので、あまり迷うことはないと思います。
京成成田駅の場合は駅を出てから少し真っすぐ進むと右手に参道が見えます。JR成田駅の場合は、東口から出て右手に向かうか、少し真っすぐ進むと表参道が左手に見えてきます。
写真の信号機(JR成田駅)の先が表参道の入口となっております。
成田駅周辺の地図はこんな感じです。
車で行く場合も、有料の駐車場が近くにいくつかありますが、豆まきなどのイベンド開催で混雑時は満杯なので車で行くことはおすすめできません。正月は参道などがかなり混雑するため、車で行くのは避けたほうが無難です。
まとめ
成田山新勝寺の簡単な歴史や見どころなどについて紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
この成田山はかなり古くからある有名な寺院なのですが、平将門の反乱時には討伐祈願を行った場所というのは、意外と知られていないかもしれません。
新勝寺だけでも境内は広く見どころ満載なのですが、参拝ついでに表参道を食べ歩きしたり、成田山公園を散歩したりでもすれば、1日では廻りきれないぐらいのボリュームです。
成田山といえば初詣で有名ですが、秋には成田山公園で、すばらしい紅葉を、夏は駿河屋や川豊の鰻で精力アップなど、四季それぞれで楽しめると思います。
成田山公園は春には桜のスポットでもありますが、個人的には周辺にあるお寺の宗吾霊堂のほうが桜の花見をするには、おすすめの観光スポットです。
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