千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(歴博)は歴史学、考古学及び民俗学に関する資料が展示されている、日本で唯一の国立博物館です。
国立歴史民俗博物館は主に次の6つの展示室で構成されていることは、以前の記事で説明いたしました。
- 第一展示室:先史・古代
- 第二展示室:中世
- 第三展示室:近世
- 第四展示室:民族
- 第五展示室:近代
- 第六展示室:現代
以前の記事で弥生時代までの先史についてはレポートしましたので、今回は第一展示室の主に奈良時代の見どころなどについてレポートしていきたいと思います。
奈良時代の見どころは?
第一展示室において古代の最後を飾るのが、平城京に都があった奈良時代です。「なんと見事な平城京(710年)」から、「泣くよウグイス平安京(794年)」の間です。遷都を行ったのは女性天皇である元明天皇(げんめいてんのう)です。
ちなみに古墳時代と奈良時代の間に飛鳥時代(あすかじだい)があります。これは推古天皇が即位した593年から平城京遷都(710年)までの時代ですが、聖徳太子や中臣鎌足が活躍していた頃ですね。
平城京の前の都は奈良県橿原市にあった藤原京です。天武天皇が着工し、妻の持統天皇が完成させ、694年から都として使用されました。
正倉院の模型
こちらは東大寺の倉庫として使用されていた正倉院(しょうそういん)の模型です。
756年に聖武天皇(しょうむてんのう)の皇太后である光明皇后(こうみょうこうごう)が、夫の遺品を大量に東大寺に収めたために、その置き場として建てられたと言われております。
聖武天皇は行基に命じて東大寺と大仏を創建した人です。そういった背景から光明皇后は東大寺を選んだのでしょう。
正倉院は当時のままの状態で現存しております。1997年に国宝に指定され、1998年には「古都奈良の文化財」としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。
平城京復元図
平城京は塀で囲まれており、芥川龍之介の小説で有名な羅城門が入り口となっていて、そこから朱雀門に向かって、まっすぐに朱雀大路という非常に道幅の広い大通りが通っておりました。
朱雀門の先には天皇のいる平城宮があります。
こちらが平城京の復元図です。五重塔で有名な興福寺は外京の中にあり、大仏で有名な東大寺は平城京の外側にあり、隣接する形でした。朱雀門から東大寺までは4キロ程度ありますので、相当な規模だったことがわかります。
羅生門の復元模型
平城京の入り口である羅城門は現在は残っておりませんが、歴博で復元模型を見ることができます。
羅城門のあった場所は現在は唐橋羅城門公園となっており、跡地には石碑が立っております。
画像提供元:京都フリー写真素材
平城京の入り口が羅生門であり、天皇の居る平城宮の入り口が朱雀門(すざくもん)です。平城京跡は現在、着々と整備が進められており、観光することができます。
こちらは以前に平城京跡で撮った写真ですが、朱雀大路から朱雀門を写しております。これを見ても朱雀大路の広大さがわかると思います。
朱雀門は1998年に復元され、朱雀大路を挟んで両脇にお土産屋や資料館がある朱雀門ひろばは2018年に開園されました。朱雀門の先には、天皇が儀式を行っていた大黒殿が復元されております。
多賀城
こちらは奈良時代の宮城県にあった多賀城(たがじょう)の模型です。平城京のように塀で囲まれておりますが、建物は少なく、中身はスカスカなのが印象的です。
多賀城は724年に大野東人(おおののあずまひと)により創建され、762年に藤原朝獦(ふじわらのあさかり)によって、修繕されました。
中央の建物は行政府で、都でいうと宮殿のようなものです。実際はその周辺に兵士などの居住区があったのでしょうが、そこまでは調査が進んでおらず、よくわからないといったところなのでしょう。
奈良時代には大和朝廷はまだ全国支配をできておりませんでした。東北には蝦夷(えみし)と呼ばれる朝廷の支配下にない人々が住んでいました。
宮城県にあった多賀城は蝦夷を支配するための軍事拠点となっておりました。平安時代の征夷大将軍として坂上田村麻呂が有名ですが、征夷大将軍というのは元々は蝦夷を討伐するための役職でした。
都から東北までは距離があるため、まめに連絡を取ることは困難です。そのため、征夷大将軍には徴税や徴兵などの、それまで天皇しか持っていなかった特権が与えられました。この特権に目をつけたのが後に征夷大将軍となった源頼朝です。
休憩所
第一展示室(先史・古代)を見終えると、第二展示室(中世)へ続く通路があります。人によっては第一展示室だけでもかなりの時間がかかってしまい、疲れて休みたくなることでしょう。
通路の途中にはトイレや休憩所があります。第二展示室(中世)から第三展示室(近世)へ行く通路にも同様にあります。
こちらが休憩所です。落ち着いた空間となっております。
休憩所には自動販売機を置いてあって、飲み物を飲むことができますが、食事は禁止となっております。筆者は昼食としてコンビニでおにぎりを買っていたので、中庭にあるベンチで食べました。
まとめ
国立歴史民俗博物館(歴博)の第一展示室の主に奈良時代までについての見どころについてレポートしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
一般的には古代というのは、奈良時代と平安時代のことを言うのですが、この博物館は平安時代は中世となっております。華やかなイメージのある平安時代は人によっては中世だと感じる方もいると思いますが、その辺りは今でも議論になっているといいます。
国立歴史民俗博物館は第一展示室(先史・古代)のほかにも中世と近世の展示室などがあります。歴史が好きな方、歴史を学びたい方、または子供に歴史の興味を持ってもらいたい方など、ぜひ一度行ってみてください。
コメント