茨城県にある鹿島神宮は古来よりこの場所にあるパワースポットです。
この神社の御祭神については後ほど説明しますが、武神が祀られているこの神社は、徳川家康が関ヶ原合戦の戦勝を祈願した場所としても知られております。その武神は漫画やゲームなどでよく登場するので、聞いたことがというかたも多いと思います。
今回はこの鹿島神宮を観光したので、そのレポートをしたいと思います。
- 鹿島神宮とはどんな神社?
- どんな神様が祀られている?
- 見どころはどこ?
- 湧き水が飲めるってほんと?
- 世界遺産登録はされているの?
- 周辺スポットのおすすめスポットは?
- アクセス方法は?
などの疑問についてお伝えしていきます。
鹿島神宮ってどんなところ?
さて鹿島神宮とはどんなところなのでしょうか。いつ頃創建されたもので、どんな神様が祀られているのでしょうか。
神宮というのは通常の神社よりも格式が高く、数も限られております。そのうち、伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮は古くからある神宮で「日本三大神宮」と呼ばれることもあります。
鹿島神宮の主祭神は?
鹿島神宮では、どのような神様が祀られているかご存知でしょうか。この神社の主祭神は武甕槌大神(タケミカヅチ)という武神です。
タケミカヅチは天照大御神(アマテラスオオミカミ)の使者として、出雲の国譲り神話において大国主(オオクニヌシ)に国譲りを迫ったことで知られております。
漫画を読んだり、ゲームをやったりしたことのある方なら、タケミカヅチという名前は一度は聞いたことがあるかも知れません。この神様は中臣鎌足(なかとみのかまたり)で有名な中臣氏(藤原氏)の守護神です。つまり、鹿島神宮は中臣氏と関係のある神社でした。
鹿島神宮の創建年は?
鹿島神宮が創建されたのは、神武天皇元年とされております。神武天皇(じんむてんのう)といえば初代天皇ですが、一般的には即位したのは紀元前660年と言われております。
ただ、この根拠となっている日本書紀は、特に前半のほうでは神話的な内容で信憑性にかける部分があり、この紀元前660年というのは歴史的な通説とはなっておりません。というか、神武天皇の実在さえ、認められておりません。義務教育で習う歴史の教科書には登場していなかったはずです。
そもそも日本書紀が完成したのは720年であり、資料もろくにないのに、それよりも数百年以上前の出来事なんて正確に記述できるわけがないですよね。
神武天皇の即位年は邪馬台国(やまたいこく)の女王「卑弥呼(ひみこ)」の後の3世紀頃だったという説もあります。
要するに、鹿島神宮の創建年は、諸説あるということになります。いずれにしても、かなり古い歴史ある神社であることには、代わりがありません。
鹿島神宮は世界遺産登録されている?
結論からいいますと、鹿島神宮は世界遺産登録はされておりません。神社でも春日大社のように世界遺産登録されていることがありますし、かなり歴史のある神社なので世界遺産登録されていても良い感じがします。
ちなみに日本で最も格式の高い神社である伊勢神宮も世界遺産登録されておりません。これは世界遺産の条件に「変わらないもの」という項目があって、20年に一度行われる式年遷宮がそこにひっかかってしまうためだそうです。
鹿島神宮についてもかつては式年遷宮が行われていましたが、現在は停止しております。
鹿島神宮の見どころは?
鹿島神宮の見どころについて紹介します。これは境内のマップですが、敷地は他の神社と比較するとかなり広いです。
大鳥居
鹿島神宮駅から10分ほど歩くと、大鳥居が見えてきます。この鳥居は東日本大震災で倒壊しましたが、平成26年に再建されました。
大鳥居は二之鳥居とも呼ばれ、一之鳥居は東西北に設置されております。西にある一之鳥居は水上にあります。
桜門
大鳥居をくぐって進んでいくと楼門があります。江戸時代である1634年に建てられてもので、重要文化財に指定されております。
茅の輪
楼門をくぐると、なにやら縄の輪がありました。6月は「茅の輪」をくぐる「夏越大祓(なごしおおはらい)」の神事があり、それが終わるまでこの輪は設置されるそうです。
茅の輪をくぐることで心身を清め、無病息災や厄除け、家内安全を願います。
拝殿
楼門から少し進むと右手に拝殿があります。1619年に江戸幕府の2代将軍である徳川秀忠(とくがわひでただ)が寄進したもので、重要文化財に指定されております。
秀忠の父の徳川家康は、天台宗(てんだいしゅう)という仏教の信者だったので、その息子が神道の施設に寄進するのは意外な感じもします。
でも明治時代の神仏分離(しんぶつぶんり)以前はお寺と神社の違いは今のようには無く、同じ敷地に両方があったりしたそうです。神仏分離というのは、それまで融合していた神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させることをいいます。
例えば、奈良の東大寺の近くに手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)という神社がありますが、明治時代以前はこの神社は東大寺の一部だったそうです。
本殿
拝殿の奥には本殿がありますが、柵に囲まれており間近に近づくことはできませんでした。拝殿と比較すると、かなり派手な建造物だと思いました。こちらも徳川秀忠が寄進したもので、重要文化財に指定されております。
宝物殿
拝殿の向かいには宝物殿があります。この宝物殿はこのときは長期の休館中でした。休館の理由は「工事と文化財の調査のため」となっております。見学するには入場料が必要です。
源頼朝が奉納したと伝えられいて重要文化財の鞍「梅竹蒔絵鞍(うめたけまきえくら)」は茨木県立歴史館のほうに休館のタイミングで寄託されました。宝物館に戻ってくるかどうかは未定です。
奥参道
拝殿・本殿から奥宮に向かうための気で囲まれた道が奥参道です。鹿島神宮はこのような道が多く、なんというか森の迷宮に迷い込んだような感覚を受けました。
ところどころ脇道がありますが、どこへ続いているのか案内がないので入ってしまうとどこに行ってしまうのか、わかりません。
さざれ石
奥参道を進んでいくと、日本国家である君が代の歌詞に出てくる「さざれ石」があります。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
苔のむすまで
さざれ石は鹿島神宮だけでなく、東京の千鳥ケ淵戦没者墓苑や神奈川の鶴岡八幡宮、京都の賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)などにも飾られております。
さざれ石とは、元々は長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって大きな岩となったものです。
鹿園
さざれ石の近くには鹿園があります。なぜ鹿がいるのか不思議ですが、神の使いとされているそうです。鹿島神宮の主祭神であるタケミカヅチに天照大神の使いの鹿の神が命令を伝えたという伝説もあります。
奈良公園には、たくさんの鹿がいますが、もともとは鹿島神宮の鹿を奈良に連れて行ったとも伝えられております。奈良は中臣鎌足が活躍した場所であり、タケミカヅチを主祭神とする春日大社があります。また、鎌足の息子である不比等(ふひと)のゆかりの地である興福寺もありますね。
中臣鎌足の生まれた場所は諸説ありますが、この鹿島の地という説があります。後ほど、鎌足誕生の地と伝えられている鎌足神社というスポットも紹介したいと思います。
奥宮
この奥宮の建物は元々は現在の本殿の位置にあったそうです。1605年に徳川家康が奉納したもので、重要文化財に指定されております。現在の本殿と比較すると、かなり質素な感じがします。
要石
この要石は地震を起こすというオオナマズを抑えていると伝えられております。「山の宮」、「御座石(みましいし)、石御座(いしのみまし)」と呼ばれることもあるそうです。
水戸黄門で知られる徳川光圀(とくがわみつくに)が、どこまで埋まっているか確かめるために掘らせたそうですが、いくら掘っても底までたどり着くことができずに断念したそうです。
要石は千葉県の香取神宮(かとりじんぐう)にもありますが、鹿島神宮のものがナマズの頭、香取神宮のものが尾を抑えているといいます。
この石が地中深くどこまでも続いているとは、見た感じからは信じられないですね。
ご参考までに香取神宮の要石です。
こちらも、見た目はただの丸い石が半分だけ地面に埋まっている感じがします。
御手洗池
御手洗池は湧き水(御神水)でできた池です。昔は鹿島神宮を参拝することは、ここで禊(みそぎ)をしたといいます。
奥に湧き水が出ているところがあって、ペットボトルなどに入れて持ち帰ることが出来ます。2Lのペットボトルをいくつも持ってきて、水汲みをしているおじさんがいました。
この水を飲む場合は、必ず煮沸させることをすすめております。水汲み場の近くに注意書きがありますが、それを見落として飲んでしまう方もいるようですので、気をつけて下さい。
御手洗池の近くには甘味処 「一休」という食事処があって、焼団子、そば、ところてんなどメニューがあってランチを取ることもできます。
一休で「神の池」というお酒が売ってますが、これはこの池の湧き水で作っているそうです。お土産として買っていったら、酒好きの家族がかなり喜んでいました。
鹿島神宮周辺の見どころは?
鹿島神宮周辺の見どころについて紹介したいと思います。
鎌足神社
鹿島神宮の周辺スポットとして鎌足神社があります。
中臣鎌足誕生の地と伝えられている場所です。奈良県明日香村小原(あすかむら おおはら)にある大原神社も、鎌足誕生の地と言われております。
鎌足神社は鹿島神宮駅から鹿島神宮へ行くのとは反対方向に向かって、徒歩10分程度の場所にあります。
根本寺
根本寺は聖徳太子の創建と伝えられるお寺です。松尾芭蕉が訪れたことがある場所であり、その句碑が境内に立てられております。
場所は鎌足神社の近くです。
塚原ト伝の像
鹿島神宮駅から鹿島神宮へ行く途中には鹿詰児童公園があります。園内には塚原ト伝(つかはらぼくでん)の像が建っております。
卜伝は鹿島神宮の神官の子として生まれた戦国時代の剣豪です。彼の剣術は後に鹿島新當流となり、今日でも伝承されております。
鹿島神宮へのアクセス方法は?
電車やバスを使って鹿島神宮へのアクセス方法は主に2通りあります。
ひとつめは、東京駅の八重洲南口から直通バス「かしま号」に乗る方法です。もうひとつは、JR成田駅から成田線で佐原駅まで行き、そこで鹿島線に乗り換えます。そして、最寄り駅の鹿島神宮駅で降りれば、そこから歩いて10分程度です。
鹿島線は本数が少ないので、気をつけて下さい。車で行く場合は、無料の駐車場もあります。
まとめ
茨城にある鹿島神宮の見どころなどについて紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
古くからこの地にあるこの神社は、武甕槌命(タケミカヅチ)という武神が祀られており、源頼朝や徳川家康といった武士も関わって来ました。
電車などのアクセスは不便ですが、広大な敷地で自然豊かであり、森林浴はウォーキングなどを楽しむ場所としても、とてもよいと思います。
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